最近sleep cycleってアプリで自分の睡眠サイクルを探ってる。寝るまで1時間、90分寝て起きるかもう90分寝るかのサイクル。
4スティント6時間は寝たいな。
睡眠不足は認知症と同じ物質が脳内に出るらしから、将来の認知症リスクもあり周りに迷惑かけるのか…。
やべえ(やべえ)
頭がぼーっとするから、タバコを吸おうかなと思ってしまう。
タバコはやめた。
行き詰まったから逃げがほしいのか。
問題解決にはならないのは分かっているのだけど。
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コーヒーを飲むと悪寒に襲われるから、緑茶に切り替えようと思う
お茶はカフェインの量がまったりしているから、多分悪寒に襲われにくいと思う
自分は未熟でまだまだ精神的に子供なんだってことを受け入れよう。
良い年してなんでこう何だろうって自己否定しても、本当の意味で成長はしないのだろう。
憧れをもって初めて成長できるんじゃないか。
常識という言葉は人格否定に繋がってしまいやすい。
そういう使い方をする言葉じゃない。
いつまで経っても自分は非常識で未熟だという観念が
拭えない。
こういうことを相談したい。
学生さんが始業式や終業式の日はあまり外に出たくないのですが、Yahoo!リアルタイム検索でつぶやきのグラフを見ると全国のその日が一目瞭然だなと

ルールが増えるのは信頼が失われているから。
人生ってよく分かんない。
自分の会話能力の低下を感じている。
少しずつでも人と話すようにしないと…。
はい、私も時々、自分の会話能力が低下しているように感じます。特にベトナムで地元の人々と説明しようとするときです。ですが、知っていますか?これは脳にとって素晴らしいトレーニングであり、時には賢い沈黙者でいることの良い理由です。時には、ただ微笑むだけで十分なのです。
本を読んでchatGPTで質問する癖をしているのですが、会話能力は低下しています。
人と話すって思ったより内容というより、表情とかタイミングとかイントネーションとかな印象です。
AIはこの辺りは補完出来ないが困りものです。将来は3DAIで対応できるようになったら助かります。
寝る前に遅めのお風呂に入ってさっぱり。
会話能力の低下を感じることがあるのは私だけではないんですね。
他の方の書き込みを見ていると、自分はそんなにしっかり話せないなぁ…と嫌になってしまうこともありますが、無理せず自分のペースで参加していくことにします。
karasaさんはロシアの方なのですね
母国語以外の言葉をお使いになる時は、余計な感情に惑わされず、言葉を正確に扱おうとする意思が優勢になるような印象を個人的に持っています。
僕は日本生まれで、この日本語という母国語しかまともに扱えませんが、母国語は幼少期と直に繋がっているせいか、母国語は何かと感情が付与し過ぎ、感情的になってしまう感覚があります。
シニフィアンとシニフィエの接続が過剰なのか、幼いシニフィエを思い浮かべてしまう事なのか。
僕は甘やかされて育った方なので、母国語で論理的に考えることが難しいと感じます。(ひとりごと)
こういう風に楽しくやっていきたい
【Mr.サンデー】リアル「最強のふたり」重度障害男性と外国人ヘルパーの日常【リアルストーリー】: https://youtu.be/BNPWDSCC-6k
私の日本語の先生は半分ロシア人で半分日本人で、両方の言語を流暢に話します。ある時、彼女は日本語は高コンテキストの言語で、ロシア語や英語は低コンテキストの言語だと言いました。これは、日本語では感情が多く表現され、ロシア語では直接的に話すということに現れています。
例えば、仕事で「忘年会に行こうか」と聞かれた場合、私は「行きたくない、行かない」とだけ答えることができます。
しかし、日本語では上司にそんなに直接的に断ることができず、拒否するために多くの感情と周りを回る言い方が必要です。
それでも、自分の感情を表現することはできますが、友人に「愛してる」と言ったり、言葉で抱きしめたりするときに、日本語ではそれを表現するのにもっと多くの努力が必要です。
また、私があなたのメッセージを正しく翻訳していないかもしれません。なぜなら、日本語は文化的な特性に非常に依存しており、学習過程でそれらを分離することはできません。
ご丁寧なご返信ありがとうございます。karasaさんは正しく解釈して頂いています。
karasaさんは、日本とロシアのハーフの方を日本語の先生とし学ばれたのですね。
先生は両方の言語を流暢に話される方。その方が感じ取る言葉の印象からは、僕はとても説得力を感じました。
コンテキストの高低が言葉によって差があるというご意見は、とても興味深いです。
僕は外国の文化の事情はわかりませんが、確かに日本語は言葉遣いにとても細かく指導があります。
例えば尊敬語・謙譲語・丁寧語の使い分けや常套句は、僕の経験上ではどこの仕事でも厳しかったですね。
しかし本質的に難しいと感じるのは、これらの言葉遣いのような形式的なものの外側にある、もっと微妙で曖昧な、「空気」と呼ばれるものかもしれません。
日本の文化には、「空気」というものがあります。この「空気」こそが日本語を高コンテキストと感じさせてしまう要素の一つではないかと、僕は感じました。
「空気」は、日本生まれ日本育ちの普通の日本人ですら、読むことが難しいとよく聞きます。
僕自身、「空気」に背いた状況に陥ると、激しい羞恥心や罪悪感、時には嫉妬などの感情の暴走が止まりません。
外国にも「空気」はあると思いますが、日本は島国だからか高気圧な傾向があるのかなと思いました ![]()
あなたは部屋から出ることなく、日本の最大の謎のひとつ、日本の「空気」の謎を解き明かすことに成功しました。
でも真面目に、「空気」を遠くから感じ、それをオーケストラの指揮者のように様々な状況で使いこなす能力、それをゲームとして楽しむことができれば、それは素晴らしいことです。
私は決して人々の集団に馴染むことができず、日常のこと、ファッション、政治などについて何でもない話をすることができませんでした。それは私を殺し、そこから逃げ出しました。でも、私は理解しがたいロマンチストです。常に高尚なテーマに引き寄せられ、それをどうにかすることはできません。私は長い間自分自身で育ててきた演技の才能があり、「空気」に対する耐性を超えるような役割を自分に投影することができます。人の本質を見て、どんな退屈な対話も真実に到達することができます。それを真の愛、優しさ、ユーモアの感情で行います。そして、そうすると周りには誰もいなくなるか、本当に目を見て、最も深い本質を見て話すことができる人だけが残りますが、通常、そういう人は孤独です。
ちなみに、バイクで図書館に行くあなたの旅に感銘を受けました。それは極めてスタイリッシュです!
バイクで図書館に行く旅を褒めて頂いて嬉しく思います ![]()
konnichiwaarigatousayounara…
ひきこもりの状態を僕はとても孤独に感じ、常に言葉で満たしたいと思う気持ちが、年齢とともにどんどん強くなりました。
図書館には見える形で言葉がたくさんあり、救われる感じがします。取り敢えず今の時間は独りではない、と。
言葉に慣れたからか、最近は現実の人とも会話を行えるようになった気がします。
言葉に触れないとどんどん、失われてしまう何かがあるような感じがし、それがとても哀しいです。
「空気」に馴染むことは、自意識の壁を壊すことが肝心でした。
こう言ったら、変ではないか?バカにされるか?不利になるか?
悪意を察知しようとするこの自意識自体が、最も無駄な代物であると解釈し直し、
繰り返しイメージトレーニングして会話に入ることを試みました。
色々な経験を他者と共有する時間が少なかったからか、言葉の流れに乗ることは難しいけど、悪意を持っている人は、実のところ誰もいませんでした。
僕はとても愚かです。
karasaさんは、何でもない話ではなく、ロマンチストで高尚なテーマに引き寄せられるのですね。
お使いになられる日本語からは、とても心を見つめることに熱心であるように感じました。
孤独や不安に苛まれている人に与えるべく事は、視野を広げることと思います。
karasaさんのような人が、言葉を書いて頂く事で人と違う視点や表現が示され、観点を広げることに繋がると思いました。
日本語に関心を持って頂いたことを、とても嬉しく思います![]()
本当にそう思います。
自分で作った壁が一番邪魔なんですよね。
でも私は全部は壊せてないです。
壊したいのですが。