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病院を宗教団体とするならば宗教は医療と言ったところでしょうか。
ウィキペディアによりますと、
宗教とは一般に人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。と、あります。
宗教団体とは宗教活動のための団体。法的には宗教法人法第2条の定義によると、宗教をひろめ、儀式行事を行い、および信者を強化育成することを主な目的とする礼拝の施設を備える団体をいう。また、これらを包括する団体でもそうである。宗教団体は宗教法人法に従って宗教法人になることができる。宗教法人は他の法人と比べて税金などが優遇される。と、あります。
天理教を勧められるのは困るけど、天理教をバックボーンに持ってるOTASUKE-MENさん自身の言葉なら聞きたいなと思います。
幸せになることが善という考え方とか、なるほどなーと思いましたし。
個人的に思う、宗教の良いなと思うところは、死後の世界が当たり前の前提になっていることです(死後の裁きで地獄に落ちるから~生きてるうちに更生をみたいな脅し説教はどうかと思うけど)。
本当の宗教なら悪人こそ救ってくれと思いますね。不幸に突き進む悪人こそ。
信じないものは地獄に落ちる系宗教は嫌いですね。そもそも誰も生まれたくて生まれてきたわけではないのに、(もちろん、宗教的には自分が望んで生まれてきたという設定もあるかと思いますが、科学的ではないと思います。)
自殺をしたら地獄に落ちるという話もありますが、あれも好きではないですね。もちろん自殺はしないほうがいいに決まってますし、ハッピーであれば、自殺を考えることもないと思います。
ですが、自殺するほどこの世で追い詰められた人をあの世でも地獄に落として追い詰めなくてもいいじゃないと思ってしまいます。
人類は未だ宗教の本質的アップデートができていないのではないでしょうか?新宗教やカルト宗教も結局の所、伝統的宗教の悪いとこ、いいとこ取りなだけで、現代人のニーズに合っていないのではないかと思います。
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善についての答えですが、幸せになることが善というのは、自分だけが幸せになれれば善ということではなくて、周りの人間から始まり、全ての人間が幸せになることが善ということであります。
死後の世界について、これは他の宗教でも説いているかとは思いますが、天理教では生まれ変わりを繰り返し死というものはありません。なので動物には魂が存在します。魂が生まれ変わるというものです。
悪人も神様から見ればかわいい人間(子供)です。神様は全ての人間、悪人も善人も等しくたすけたいと思われています。
地獄という世界観について詳しく知りませんが、少しだけ調べてみました。
どうやら地獄に落ちてもまた生まれ変われるみたいです。人間世界で言う罪を犯した者が刑務所で服役期間終えて、再び社会へ戻るようなもののようです。地獄が刑務所のようなものでしょうか。でもそれって今私たち生きてる社会の法を犯すということと何ら変わりないように思います。地獄がとても苦しいところだから恐怖になるのでしょうね。ということは、苦しみが恐怖ということになりますね。
hikaruさんのコメントによると恐怖は、何かわからないものに対する感情もあるようですね。
私も恐怖について考えてみました。
恐怖の先にあるものは何でしょうか。
先ほども書きました通り、苦しみを味わうという恐怖。また、何かわからないものに対する恐怖。どちらも想像の中で膨らんでいるようですね。 hikaruさんが仰るように、人間は創造したり推測したり頭の中で考える能力があります。目に見えないその人だけの現実以外の世界がありますね。
人それぞれが、想像する、現実に起こりうるかもしれないと思う恐怖。その恐怖の先には何があるのか?そこまで考えてみると解決しそうな気も致します。
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ふむふむ。地獄に落ちても、無限地獄でなければ、チャンスがあるみたいですね。
なるだけ、この世で罪を犯さず、地獄に落ちるにしても、刑期を短くしたいものです。
禅の世界では、マインドフルネスを認めてないのが主流らしいですよ。「思いの手放し」ができてないことになるとか。山下良道のポッドキャストでやや否定的に言ってました。
そのあたりは「マインドフルネス×禅」って本にも詳しく書いているようです。おすすめするわけじゃないですが、興味あれば。
輪廻転生があるとしたら俺は地獄へ落ちるのかな。
畜生道とかいうやつかな。
この世の家畜は地獄みたいなもんだもんな。
せめて放牧されてる家畜でおねげえしますだ。
禅から宗教性を抜いたのがマインドフルネスなんでしょうかね?
「思いの手放し」ってのは、瞑想することで、健康になりたいとか幸せになりたいとかいう欲望があるってことなんでしょうかね?
ヨガも宗教っぽいですけど、健康法になってますしね。
畜生と言っても、いろいろな動物がいますからね。
金持ちの飼い猫なんかは待遇が良さそうです。
できたら、なるべく苦しくない地獄に落ちたいものですね。
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禅仏教、最終奥義、「思いの手放し」
あらゆる思いを手放してゆき、思いの手放しという思いも手放すという。
思いの手放しという思いも手放しという思いも…という無限後退に陥らせることで、完全な無の状態を実現できます。
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禅は中国を経由して入った北方仏教で、マインドフルネスはブッダの瞑想法をそのまま伝えてきたという南方仏教から、宗教性を抜いたものだと認識してます。メソッド自体はどちらに近いかといえば南方だと思うので。
ただマインドフルネスを広めた代表的な一人ジョン・カバット・ジンのバックボーンをみたら、禅僧にも支持していたので、禅の影響もかなり入ってそうです。
「思いの手放し」というのが欲望の手放しかは知らないけれど、山下良道さんの話では、マインドルフルネス的な評価なしに観察する意識自体があるなら、それは禅(今の禅僧たち)からみたら、それ自体が思いがまだあると否定してしまうという話でした。