日本を自分達で変えよう。

やっぱり、そんなものですよね。
私のコメントの多さと1コメントの長さからして、
2件だけなら「ほとんど使わない」という私の認識であっていると思います。
使ってるはずないと思ったんだ。
ふだん、誰かが甘えてるかどうかなんて、全然、気にしてないから。

でも、誠実な方ですね。
まともに事実確認してくれる人って、すごく、久しぶりな気がします。

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何が有能かは簡単ですよ。

たとえば医者なら、病気を治せるのが有能。
すごく親切で優しくて思いやりがあるけど病気を治せない『善人だけど無能』な医者と、
守銭奴で命が惜しい患者の足元を見て財産根こそぎでは飽き足りず借金までさせるけど病気を治せる『悪人だけど有能』な医者。

この具体例なら、善人の定義にも、有能の定義にも、違和感はなかろうと思います。

私は、親切で優しくて思いやりがあって、しかも病気を治せる神様を信頼していますと、そういうわけです。

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善人こそは有能の証

その考え方は、なかなかに強者の理論ですね…。
無能な人は善人ではなく、有能ならば善人だと言っているも同然です。
おそらく、善い心を持っていれば必ず有能になれると信じたい、という話だと思うのですが、その理想は視点を変えると、えげつない強者の理論なのでご注意を。
努力したのに有能になれなかった子が、その言葉をどんな気持ちで聞くか、大人になると考えずにはいられません。
ひきこもる前は教える仕事をすることが多かったからかもしれませんが。

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長年メディアによって引きこもりが悪く言われてる

収入 金が無い人間には冷たい世の中

それが今の時代の常識となっている

そんな日本を変えるのはいつだって弱者側の役割だ

強者側は革命的出来事によって打倒される対象

問題なのはもう日本では革命的な出来事が起きそうに無い これからも支配者層と被支配者層の2極化は進んでいく事なんだろうな

でもおれは応援したいです 反骨精神とやらを持った人々を

あ、ちなみにおれは善人も悪人もいないと思ってます 全員人ですから

善にも悪にも変化しうる

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私は無力であった人を無能と評価しません。
有能こそ善人の証でなく。
善人こそ有能の証であるので、善人である以上、善を有する能を持っていると言うことです。

有能になれなかった子供ですか。
私には無能の条件がわかりません。
無能と決める基準が持てない。
生涯を通して無能であると決めてしまえば別ですが、私はそうしたいと思わない。
本当に無能の人間がいて、その人がそう主張するなら、納得のいく説明を聞かなければならない。
だからと言ってその子が主張する無能を絶対に許せないわけでもないです。

ただ、無能と誰が見定め、決めるのか、私は決めません。

それこそ信じる神に等しい存在が決めでもしない限り、また本人がそうして欲しいと要求しない限りはその人を無能と決めつける事は私にはできないのです。

善悪を持ち出せば、善の心を持てないなら悪と言うことになるでしょうから。

善悪と有無能を使って表現する上ではああ言ったまでなのです。

私は有能無能と言う考えをあまりしないもので、善悪も。
それらは価値観や主観で変わるので。

私は信頼できる人を信頼するわけですが、なかなかその人を定義することは難しいです。

zeusukunさんは有能の定義も善人の定義もできてないと言いながら、
善人こそは有能の証だと述べていますが、
それはもう最初から最後まで破綻しています。主張として成立していません。
主張したい内容のキモである単語の定義ができないなら、その主張をするには時期尚早と言わざるを得ません。
他人の意見を聞いて、あまりにもぼんやりした自分の主張の輪郭をハッキリさせたいのであれば、構いませんが。

zeusukunさんがそのつもりであるという前提でアドバイスすると、
無能を決めるのは本人です。
先にも出した例ですが、手を尽くしたにも関わらず、医者が自分のミスで患者を死なせてしまった時、自分を有能と考えるわけがないのです。
救いたかった命を救えなかった、どころか自分のせいで死なせてしまったドン底の医者の心に「善人こそは有能の証」という言葉がどう響くかを想像してみましょう。
zeusukunさんがどういうつもりかは、この際、たいした問題ではありません。
相手に届くのは主張した言葉だけ、あなたがその言葉に込めた心までは届かないのだから。

結論から言って、言葉選びが悪いと感じます。
zeusukunさんが何を主張したいのか、ご自身にもわかっていないようですが、
その言葉選びではご自身がまったく意図しない言葉の刃物となって、傷ついている他人の傷を抉るばかりだろうと思います。

「人に優しくできるのは、自分が強い時」
という主張を知っていますか。私はこれは真理だと思っているのですが。
zeusukunさんの主張と似ているようで決定的に違うのは、
こちらの主張は「一時的な状態」を定義しているに過ぎないということ。
善人とか有能とか、恒久的な状態を定義しない。
善人でも悪人でも、有能でも無能でも、自分が強い時には人に優しくできるのです。
この言葉選びの巧みさは、強い人は他人に優しいとは言っていないということ。
強い人なら他人に優しくできるけど、優しくすることを選ぶかどうかは本人が決めるのです。
弱い人には、他人に優しくすることを選ぶことすらできない。これは真理。

どうでしょう、少しは、お考えを整理する役に立てたでしょうか。

◆ 追記 ◆

なお、「信頼できる人を信頼する」では、話になりません。
その姿勢そのものを否定はしませんが、zeusukunさんのいう「信頼できる人」がどういう存在か、他人にはまったくわかりませんので「話にならない」のです。
私が苦手だと先に述べた感情論、抽象論の極みです。
厳しいですが、私はzeusukunさんについて、「何を言ってるのかわからないから信頼しようがない」と考えています。
客観的に理解できるように伝えることこそが、信頼関係の基本と思います。
伝える手段は言葉でなくてもよいのですが、伝わらない主張をしているうちは、信頼など夢のまた夢ではないでしょうか。

悪の繁栄を許すほど神は甘くないので、格差が拡大するのはごく短い期間になるだろうと私は思っています。
神にとってのごく短い期間は、人間にとっては長いのですが。

人類の起源から600~700万年、これが神の時間感覚。
産業革命という禁断の知恵の実に手を出した人類がわずか数百年で滅んだ場合、神にとっては、まさに瞬く間です。
産業革命からまだ300年も経たないのに、多くの生物種が人類によって滅ぼされ、地球はこんなにもボロボロになってしまいました。

人類が地球のガン細胞であることをやめられないなら、誰がひきこもりだろうが、誰が不登校だろうが、あまりにもささいでどうでもよいこと。
『その方法なら地球のガン細胞を正常細胞に回復し得る』という可能性のあるアイディアが出たら、私も参加したいと思いますが、少なくとも私はその方法を思いつきません。

私が以前、私にとってはひきこもることこそが世界を変えるための手段と言ったのは、
ガン細胞のもっともマシなふるまいは、「何もしないこと」だからです。
働かず増えないガン細胞(ひきこもり)は良性ですよね。
よく働きよく増えるガン細胞(非ひきこもり)こそは悪夢のような悪性なのです。
人類という種を地球の正常細胞に回復する手段がないならば、みんなでひきこもって滅んだ方がマシ。

だけど、私の目的は人類を滅ぼすことではなく、世界の再生なので、
人類を滅ぼさなくても世界を再生できるならば、
人類を滅ぼす(ひきこもる)ことにこだわることはありません。

P.S.
hiyoriさんのお返事を読んでいて、「ひきこもることが世界を変える手段」とかナニイッテンダコイツと思われている感じがしたので、遅くなりましたが、こういう考え方もあるのですよとご紹介させて頂きました。
アタラクシアの境地に近似する価値観なので、歴史に名を残す哲学者たちと同じ結論という意味では、より伝統的で由緒正しいひきこもり(隠者)かもしれません。
賢者や仙人には山奥に隠棲してるイメージありますよね?
世界史を振り返っても、知性の高い人ほどそういった生き方をしてきたことには、それなりの意味があるのです。

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猫ホテルの件、まだ県から回答無いですよね?
どうですかね。
なんとか行政に認めてもらいたいですよね。
国をあげて、ひきこもり就労支援って言ってるんだし。国は自立して欲しいはずですよね。
komakiさんだけでなくて猫ホテルに興味ある人は協力して行政に働きかけましょうよ。
私は地元の猫好きの市議さんになんとか方法が無いかを相談したいのですが、komakiさんこの企画を私の地元の市議に相談してはダメでしょうか?

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Komakiさんの言う事はごもっとも。
しかし全てに同意はしかねます。

ですが、御主張はごもっともです。

私が信頼していただく必要はないです。
ただ、夢のまた夢の話をしたかっただけです。

でも、komakiさんの言葉は論理的だ。
その上で抽象的な事を苦手と公言もしてる。

あなたの理論は筋が通ってます。

失礼であること承知の上、
道理と筋をわきまえないで申し上げます。
勝手ながらこれ以上私はあなたと話したいとは思わないです。

あなたは悪くないので、気を悪くしないでください。
勝手に気を悪くしてしまったのは私なのです。
返信も結構です。

失礼しました。

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「ひきこもることが世界を変える手段」と聞いて、「なるほどね。」と思いましたよ。

世界の再生はこんな考えはどうでしょうか?
「水は直接物質に触れなくても、物質の波動情報を含んだ電磁波を“受信”することによって、その物質の情報を記憶することができる」「水は記憶した情報を“送信”することによって、外界に影響を及ぼすことができる」ということを示しています。

この実験結果に基づいて、「物質と物質との間には直接の接触がなくても、水が仲介することによって物質が持っている波動が互いに影響を及ぼしあい、物質は遠隔的に相互作用することができる」ジャック・ベンベニスト博士の研究

これは、嘘の実験で出た結果だと言われているみたいですが、私は信じてます。
人間も水みたいなものですよね。だから、それぞれの思いを良い波動にすれば相互作用で結果的に良い地球になる。みたいな。
私は頭が良くないので上手く説明が出来ませんが、地球の再生は人々の「思い。」
だとすると、私が行政にあれこれ声を上げているのは無駄なのかなとも思いますが、良い未来の日本を想像しながら(良波動)行動しようと思います。

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身から出た錆ですが、私は日本を変えようと思ってません。
このトピになりゆきで参加してしまいました。

私は不登校の子供達を考えた場合は行政や仕組みよりも側にいる人間がその子達の信頼足りえる人間になれるか否かが重要と考えてます。

その具体的な方法は私にはわかりません。

信頼のない社会にはひきこもりも不登校もつきものになるかもしれませんが、信頼は一つずつ積み上げるしかない。
等の私もそれが難しいです。
故に社会へと意識が飛躍する事もないと言うことです。

では私はこのトピから去ります。

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ありがとうございます。
別の方に相談するということであれば、1か月ほど待ってもらえますか?
詳細な事業計画を出してからでないと、相談される方も困るはずなので。
保健所からの再回答がまだなので、それを待って、再回答もNGだったら、
詳細な事業計画を出して、この内容で駄目だったという報告を私のスレ(メゾンドにゃんこ)の方でするつもりです。
OKだった場合も詳細な事業計画は公表するつもりですが、保健所からの回答内容によっては変更するので、少々、お待ちを。

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なるほどね、と思ってくれていたのですか。
失礼しました。

hiyoriさんの考えについてですが、その考えそのものはよいと思うのですが、半自給自足村をつくる必要性とリンクしないので、hiyoriさんがしたいことは何なのか、ということがまた行方不明になる気がします。

また、私はその実験結果に基づくまでもなく、神を信じる人達がその方法で世界をよくしようとしてきたにも関わらず、世界が今日の『終わりの日』を迎えたことを知っているので、
その考えが世界を変えるために「必要」である可能性は高いけど、
その考えだけでは「不十分」であると、人類によってすでに証明されたと感じます。

「不十分」でも「必要」である可能性は極めて高いので、人類をまだ諦めないなら、hiyoriさんの姿勢は正解だと思いますが。
私は既に人類を諦めてしまった人なので、「だめ(だった)じゃん」でおしまいですね( ̄∇ ̄;)

それと、今後、私へのお返事はこちらではなく、メゾンドにゃんこの方にお願いできますでしょうか。
私はhiyoriさんの企画に参加しないのに、私がここにコメントをしていると、参加すると誤解されてhiyoriさんの企画に他の人が寄り付かなくなってしまう可能性が高いです。
(メゾンドにゃんこは仲間を募るスレではないので、他の人が寄り付かなくなっても問題ありません)

zeusukunさんのような反応はよくあるので。

同時に、今回の私とzeusukunさんとのやり取りのようなものは、ひきこもりを参加させる集団を運営する上では、確定的に、多発するものです。
zeusukunさんが気を悪くした理由がわからない私のような人。
相手に悪気がなくても気を悪くして、あなたとはもう話したくないと、どちらかがのけ者になるしかない言葉を放ってしまうzeusukunさんのような人。
ひきこもりには、どちらも多いです。
ひきこもりは、ひきこもり同士でもうまくいかないからこそ、ひきこもりなのです。

この問題をどう解決していくか、hiyoriさんが不登校でも暮らしやすい世界を諦めないなら、今回のやり取りを参考に対策を練っておいて損はないと思います。

◆ 追記 ◆

hiyoriさんが仲間を募ろうとしているプロジェクトの方針のうち、確定したものは、別のスレを立てて整理した方がよいかもしれません。
こちらはまだ考え中の部分や、参加を検討中の人との対話の場とした方が、どんなプロジェクトなのか、誰が参加するのか、格段にわかりやすくなると思います。

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あなたの存在を私は否定しない。

感情的になり話さないと言った事は、我ながら恥ずかしい所です。

申し訳なかった。

私はあなたを否定するくらいならあなたの文を読み返し、理解する道を選びたい。

しかし、なかなか難しいし、感情を無視できず、申し訳なかった。

一つだけお願いがあります。
私の事を事実であっても人との会話のなかで私の名前を持ち出し、こういう人もいると言う一例として使わないで欲しいのです。

これはお願いです。
この願いは私にとっては伝えただけで意味があるのです。
個人的に嫌だったことは伝えなければ気がすまないし、事実であってもやめて欲しいです。

これは感情論です。

だからこの願いを聞き入れる必要はないです。
言わずにはいられないだけです。

私は自分の嫌悪であなたをここから追い出すような真似はしないとここに書いておきます。

私が例えあなたを遠ざけても。
私が決めることではないですが、あなたはここにいて良いんだとおもってます。

理解できないかもですが、そう伝えておきます。

しかし私の感情を私は無視できないんです。
それでもあなたを追い詰め、追い出そうとはしません。

私がどうしてもあなたを嫌なら私はあなたを追い出さず、その時は私が去ればいいのだから。

傷つけてしまっていたら申し訳ない。
でも、あなたの言葉でも傷つくのです。

それでも、あなたの存在を否定しないし、消し去ろうとは思いません。

それが矛盾していたとしても、私はあなたを集団からののけ者にはしません。

私個人が遠ざけると言うだけです。

ただ、私にとって、名指して例に挙げられることは捨て置けなかったので返信しました。

これもまた感情論です。
破綻してるかもしれません。

でもここに記します。
それが私の意思です。

「個人と社会のつながりに信頼を作ることが出来れば、信頼を得られれば。」
信頼は交流の中で生まれてくるものかな?と思いますが、どうでしょうか。
お互いに誠実に尊重しながら交流していく内に信頼できるようになるのではないかな。

この足というのは行動の意味でしょうか?

これは、本当にそうですね。
ただ、仕組みの方も変えないといけないと思うんですよ。
というか変わって行くと思います。お母さん達の意識が変わってきているし。

信頼のない社会というのは、日本を信じられないという事でしょうか?
日本政府は全く私も不信感がありますが。

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平たく言えばそう言うことにもなりますが精神的に足に変わるものでもあります。
全てを語る気はないです。

また、日本社会への不信や仕組みを変える必要もあると言うことですが仕組みは変えるのでなく、変わるものなのだと思います。

小さくとも信頼を築いて行けたなら最後には社会にも信用されるわけなので、そのときに仕組みが変わるのではないかと私は考えます。

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どちらにせよ、変える気ないのに安易に発言してしまった。
誰がどんな風に世の中を変えるかは私にはわかりません。

信頼は重要かなと言うことを言ったわけです。

返信はできない事もあるので御了承を。

失礼します。

安心して下さい、関係ないところで名指しで例にすることはしませんよ。
でも、あなたが実際に書き込んだスレ内においては、
名指しを避けると、全然、関係ない人が自分のことと勘違いしていやな思いをしかねません。
それでも、どうしてもいやだということなら、スレ内の私とzeusukunさんのやり取りをすべて削除して欲しいと、zeusukunさんが管理人さんにお願いするのは構いません。
(zeusukunさんが自分で削除した後に、私にも削除して欲しいと私にお願いされる場合、私はこちらを長期に渡ってチェックしないことがよくあるので、お願いされていることに私が気がつかないリスクが高いです。ふらっと現れて、またふらっと消えるのが常です。)

私はzeusukunさんを正直な人だと思っていますが、
他人の話をきちんと聞けないのはもう性分なのかなとも思っています。
正直な人は好きなんですけどね。

あなたの言葉はどちらかが排除されるしかなくなるもの、と私は書きました。
私が排除されるとは書いていません。
あなたの「自分が去ればいい」という提案は、私が指摘した「どちらかが排除される」という結末そのもの。
自分が去る分には相手は傷つかないという考えは、あなたのとんでもない思い違いですよ。
去る方が傷つかないから、この村の人々はひきこもるのではないですか。

hiyoriさんが進めようとしているようなプロジェクトは、あなたが排除されても私が排除されてもダメなんです。
居場所のない人々に居場所をつくるためには、基本、居場所のない人々に居場所がないのは本人の自業自得だという現実を知るところから始めなければなりません。
具体的にどういった自業自得なのか、あなたと私のやり取りは好例なのですから、hiyoriさんに提供しませんか?
こんな具合に破綻するのですと。

見ず知らずの他人のために、自分が提供できるものを提供する。
信頼とはそうやって築くものだと私は思います。
スレ内でさえ自分のコメントに責任を持てないあなたを、誰がどうして信頼できるでしょう。
信頼のためには、自分の言動に最低限の責任を持つことが第一歩。
あなたが信頼を大切にしたいのなら、最初の一歩を踏み出しませんか?
自分の言動に責任を持つことを、いつまでも恐れる人が、信頼を手に入れられると思いますか?

なお、名指しでの外部転載はしないというのは大原則ですが、hiyoriさんが万が一、その大原則を心得ていない方だといけませんので、
zeusukunさんが名前を持ち出さないで欲しいとお願いしたことにもまた、重要な意味があると思います。
オープンでやり取りしたのは自分なのに、名指しするなってどゆこと、と考える人は少なくありません。
そういう、他人には理解できない感情を、理解はいいから、いやなんだからしないでくれ、というワガママとして表明することは、悪いことではないと私は思います。

ワガママを聞けるかどうかは、最初に書いた通り、第三者が傷つく可能性を考慮すると応相談となりますが、真正面から表明されたことは勇敢で、建設的な行動と思います。

あなたには、もうなにも言えませんよ。