「ネットがない生活なんて考えられない」って言うけど、ネットがない時は今ネットが担ってる部分を違うものが担っていた。普通にみんな生活できてたし、それなりに楽しくやっていたと思う。ただ今はネットに依存しているだけ。今、ネットがなかったら生活できないかもしれないけど、ない時はむしろないのが普通だから、普通に生活できたはず。時代に合わない生活はコストが掛かりにくそうに見えても、それだけでコストが掛かるようになってしまう気がする。昔はオーガニックが当たり前だったけど、今はわざわざオーガニックってラベルが付くぐらい高価なものになっている。
ウイルスと霊はちょっと似てる
この世界が多様性を受容してくれるのに、なぜ全ての場所でその機能を持たせようとするのだろう。
喫煙者とタバコが嫌いな人が共存できるのだろうか。
喫煙ルームでは共存できないけど(笑)、距離があれば共存はできますね。
最近、人とクマとの関係で共存はできるけど共生はできない、だから共生という言葉は使わないようにしている、という話しを聞いて妙に納得しました。
私と空き家に発生しているドクガも毒針毛が飛んでこない範囲だったら共存はできるけど、うちの庭での共生はどうしてもできない ![]()
僕が言いたかったのはケイトクさんの言う通り、適切な距離感を保てば共存できるのに、なんで共生しようとするんだろうってことですね。恐らく。
どうしても馬が合わない関係、出会えば弱肉強食になってしまう関係もあると思います。だからこそ、国境とか物理的に分断するのかなと。
まあ、独り言なのであんまり深くは考えてないです(笑)
苦しいことは神様からのメッセージとか言うけど、体感としてはクラクションを鳴らされてるみたいに圧倒されるだけでメッセージの中身が分からない。
一人暮らしって人類の歴史を見ても異常なんじゃないかって考えてたけど、インドでは普通じゃないみたい。ということはインド料理や一人で入ってた俺を見て、なんてかわいそうな奴なんだって思われてたのかな?笑
https://blog.tirakita.com/2026/02/living_alone_in_india.shtml
やっぱり夕食後の散歩は継続した方がいいな。その方が朝胃もたれしにくくて、すっきり起きやすい。後は夕飯の時間。
みんな自分の戦いをしてるから、その人のやってることの何が良いのか分からないことがある。むしろ自分の目からは悪いことのように見えたり。ステージが違うんだからしょうがない。
日光浴の偉大さに気づきました。日光浴後は頭の回転とか精神面の調子がかなりよくなる
ぜんっぜん違う
植物こそが真のプロデューサーである。
美しい自然と音楽があれば幸せじゃないか、それさえあれば人との繋がりなんて要らないって思ってたけど、就活してる時に「この自然も誰かが管理してくれてるんだよな。社会があって享受出来てるんだよな」って思った。そこで感謝の気持が湧けば良いんだけど、それよりも自分が責任を放棄しているように感じて情けなくなった。どうしたら感謝できるのだろう?
今自分が苦しんでいることを全て自分のせいだと信じるのは、自分が変われば現実も変わると信じたいからか。どこかで変わらないことに気付いてるのに認められない。本当はそんなだいそれたことではなくて、もっと具体的な話。変えられることと変えられないことを見極める。
悲しいかな。感謝の生まれにくい環境で感謝を啓蒙しても無理がある。強制すれば出来るのは形だけ。それが嫌なら望む環境に出るか、自分で作ること。
お日様が何よりのごちそうよねぇって利用者さんの言葉が染みる。
悪は明らかに呪われてるとか悪い人間という人種とかそういうんじゃなくて、無知から来るよなあ。そもそもそういう信念が無知故。
競争社会で勝ち上がっていくと、この世界をより良くしようって発想が生まれにくいのかもしれない。
クソを掴まされたものが馬鹿と言われるのもおかしな話。(無知の知の経験にはなるけど)
自分に関わることすら全てを知るのは無理だから、色んな分野毎の詳しい人と良好な関係を築けることが価値があるんだな。
いつまで核の脅威に怯えてシェルターで過ごしてるんだ? 太陽の光こそが真の愛なのに。
え!?太陽も、というか太陽系も銀河系を回ってたの!?
地動説のイメージで太陽は不動のものだと思い込んでいました。
今夏、天の川銀河を肉眼で観てみたいな(希望的観測)。