体育会系のノリが苦手なんだけど、そういう人に潔く頭下げられると弱いんだな。
若さって失い始めてから、その価値に気づく。
だから本来なら若い内にそれを使って行動していったらいいのだと思う。
でももっと若い内に行動的になって自分の当たり前が当たり前じゃないということを社会を通して理解出来てたら、若さの価値を理解しながらうまく活かせてたのかもしれない。
だから、取り敢えず若者は年上の人のいう「若いんだから大丈夫」を信じて行動してみるのがいいんだと思う。
そんな自分も若くなくなってきたけど、今が一番若いと思って腐らずやっていこう。
今の世の中は暴力反対で過酷な訓練も良くないっていう風潮があるけど、その反面少年漫画ではそういった描写が未だに多いんだろう。昔よりも表現規制はあるのかもしれないけど、好きな人多いよね。自分はそういうのがあんまり好きになれなかったけど、そういう力への憧れがやっぱりあるのかな。特に男子は。もちろん、その力の使い方や訓練が適切であることは必要だと思うけど、そういうものに免疫がなくて全部ダメって感じだとその適切な使い方も分からないままになってしまうんじゃないかな。
芋を焼いて凍らせると、甘く食感も良いアイスができる。ということはバナナも焼いてから凍らすと、甘く食感も良いアイスになるのではないか!?
カチカチではないバナナアイス。焼くひと手間で甘くなめらか食感のバナナアイス。もしコレが実現できたら…アイス界に2度目の革命が起こる!さっそく今度バナナ多めに買って試してみよう。(「私の中のアイス史」より)
これは大発見かも?ぜひ実験したら結果を教えてください!![]()
そういえば、給食には冷凍みかんがでてましたね。今の給食にはあるのかな?
冷凍した後に、水で洗うのがミソだったような?違うような
さっそく昨夜バナナを購入し、焼きバナナアイスを作ってみました。まずは皮ごとオーブンに行ってらっしゃい!焼き終わり味見。うむ、焼いたことで甘みが増しておる。これを凍らせれば美味しいアイスの完成だ!と仕込みを完了し就寝。
朝起きて期待を旨にさっそく味見!ま、まずい!というか渋い!?これは渋柿か!?というレベルに渋い!朝起きたらバナナが、渋柿になっていた。こんなことってある!?
どうやらバナナにはタンニンが含まれてるらしく(特に皮に)、それが本体に移ったか?もともとあったタンニンが、凍らせることによって細胞から全解放&水溶性になってしまったことで、渋みが増し増し&吸収されやすいよう形になってしまったようだった。こうして焼きバナナアイスは革命的まずさとして私のアイス史に刻まれた。私が死の床につく頃、最後に一言残せるならこの言葉を残そう。
「焼きバナナは決して、凍らせてはいけない」
@eiyo-gen さん
というわけで、散々な結果に終わりました(笑)
皮を剥いて熱するとどうなるか?さらに完熟させたバナナでやるとどうなるか?気になる点がまだあるけど、これ以上犠牲者(バナナ)を出さないようにやめておこうと思います。
@PowawA さん
冷凍みかん。昔、食べましたね。給食だったのかな?記憶が定かじゃないけど、みかんもカチカチ系でしたよね。冷凍してもすぐ食べられるのに、美味しい食感が理想だなぁ(笑)焼き芋アイスしか今のところ見つかってないけど。
もう既にインクリメンタルゲームの時代が来てんじゃないかとすら思う
今のうちに作れるようにしなければ・・・
レポートありがとうございます!焼きバナナはアイスにはならないという新たな人類の知見を得ましたね!笑
しかし人類としての偉大な一歩だと思います。笑
俺は苦しみを殺すことに躍起になってた。
なぜ殺す?
そんなこと、もうどうでもいいじゃないか。
お前が求めているのは何だ?
お前が求めている光は?
引っ越して気づいたこと。
住宅街はどんな所でも、電線と電柱はあるな~
最近になってありのままでいることを自分に許可できるようになってきた。きっかけはアニメ、ヴィンランド・サガを観てから。
法を守れば、法が守ってくれるという言葉があるのだけど、どこかで法を守らなければ危険な目に遭うと無意識レベルで信じていた気がする。自分はクリスチャンの家庭に生まれ育ったのだけど、その環境が関係していると思う。信じれば救われるけど、信じなければ地獄行き。法を守らなければ地獄に堕ちるぞっていう風に刷り込まれていた気がする。もしかしたらキリスト教の本質ではないのかもしれないけど、そう受け取りやすい。
でも実際は車の通りがないところで歩行者信号が赤になってるのを無視して横断歩道を渡っても危険ではない。それを真面目な人が見たら信号無視だと怒られるかもしれないけど、飽くまでも自己責任。少なくとも自分はそういうことをするのを悪いことだと無意識レベルで強く刷り込まれていたのかもしれない。
誰かからアドバイスを聞くと、それが自分を裁く法になってしまうところがあった。だからもう自己啓発的なことは学ぶのをやめようと思った時期もある。今もそういうのにうんざりしてる。
社会で生きていくのに必要なのは良い人になることでも、完璧な人になることでも、能力の高い人になることでもない気がする。それよりも不完全な自分や社会を受け入れること。完璧になってから前に進もうとしてたらいつまで経っても前に進めないことを受け入れること。そして、案外それで上手く行って、上手く行かなくても上手く行って、社会はそれも受容できるようになってる。失敗したり、恥をかいたりする前提で出来ている。それでも前に進むことを前提としてる。
そんな気がする。
家電量販店で買い物をした。対応をしてくれたのが若いお姉さんだったんだけど、髪形が凝ってたり、ネイルもオシャレだったし、接客業だけあってすごいなあって思った。何がすごいって出勤前に身だしなみをそこまで整えてこれること。ネイルはサロンとかでやってもらってるのかもしれないけど、髪のセットは自分でやってるのかな。お化粧もするだろうし。
後、家電量販店の人って商品知識ってどのタイミングで仕入れているのだろう。昔、CDショップでバイトしてたけど、そんな時間なかった。そもそも家電量販店とは性質が違うから商品知識を学ぶことが業務としてカウントされなかったのかもしれないけど。
店員さんにそういうことを聞いてみたいと思うけど、迷惑かなと思って聞かないけども。
その点、不動産屋さんとは関わる時間が長かったから、移動の車中とかで自然と雑談が生まれた。案外そういうところは楽しさがあった。仕事上話してくれているのだろうけど、そういう人との関わりに飢えている。仕事上と言えども必ずしも心を殺して働いてる訳じゃない。少しでも心の通った会話であったと思いたい。
私、落ち込むと悩む期間が長すぎる。なかなか立ち直れない。
普通の人は一晩寝たり、なにかストレス発散すると立ち直れるものなのか?
ありのままを受け入れられるようになるというのは苦しみがなくなることじゃない。その苦しみがあるということを認められてること、とでも言おうか。
誰かから苦しんでいてはいけないと裁かれるような感覚が以前はあったような気がする。今は誰からも裁かれず、ただ苦しみが嫌だから変えたいと望む。
ずっと頭で、理性的に自他をジャッジしてきた。
だから、現状を変えようとする理由も自己否定からだったりした。
でも今は他者の価値観じゃなくて、自分の現状が苦しかったり、不満があったり、もっとこうしたいという自分の声から動こうとしている。
ひきこもってちゃダメだから変わらなきゃいけないんじゃない。ひきこもってることが苦しくて、もう嫌だから変わりたかったんだ。
なんで苦しいのに過剰摂取することに依存していたのか?
それは生理的な快不快感がきっかけじゃないから。
自分はダメなやつだとか、理性的なものから来る苦しみから逃れたかったから。