人を教育するのに自分がしているのは教育なのか、実は価値観の押し付けなのかチェックする習慣があるといいかもしれない。
若さの存在目的の1つは失敗に耐えられる体力があるということかもしれない。若さ故の打たれ弱さもあるけど、挑戦するのに体力の存在は大きい。そして、その失敗は老後への備えとしての学びの為とも言えると思う。
生活は実験の場なり![]()
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生活の中で実験を重ねていくと発見があった時の喜びがあるのと同時にその大変さや途方のなさを思い知る。だから、科学で発展したこの世界の努力にリスペクトの念が自然と湧いてきた。
完璧な世界じゃないけど、みんな自分なりに努力してきた結果なんだ。
生活の中のスタート地点って環境の整ったゼロの状態じゃなくて、今あるカオスの環境から。
そのカオスの理解をするのに苦しんだし、大変だった。
自分が高校卒業後に社会に出た時にぶち当たったのって、こういうことだと思う。
動いてみたら、とんでもないところに流されてしまって訳がわからなくなってしまった。
カオスだと感じたのは社会を知らなかったから。
可愛い子には旅をさせよというのはこういう社会を経験して理解する機会を与えるということでもあると思う。
サプリとか漢方って続かないなあ。飲むだけだから1回々々は簡単なんだけど、簡単すぎて楽しみも味わいも薄い。そして、効果も長期的に継続してやっと出るようなものだから実感も薄くモチベーションが継続しにくい。
我が家の棚にはそんなこんなでその類のものが溜まっている。捨てるのもったいない…笑
その点、食品は新しいものを買ってみてあんまり口に合わなくても組み合わせ次第で潰しが効くのが良い。家族が入ればあげたりしてもいいし。
インタヴュー記事というのは記者の方のフィルターを通したもの。実際のインタビューで語ったこととのギャップも生じるものかもしれない。でも、悪意のある創作でなければいいんじゃないかな。自分で納得して書いた文章も実は読者には思ったように伝わっていなかったり。イメージしやすい形にしようとすると失われるものもある。結果として良い影響を与えるものになればいいのかと。
世に出たものは他者に解釈され受け取られる。これは創作物でなくても、自分の言動もその対象になる。
言語化には意図があり、創作にも意図があり、科学研究も意図がある。
形にするかしないか、意識的にしろ無意識によるものにしろ、そこには選択がある。
形になってないものが存在しない訳じゃない。
寧ろ声なき声を形にするのが創作者の使命なんじゃないか。
いっぱいいっぱいになってる時のカウンセリングあるあるなんだけど、本当に言葉にしたいメインのことが言語化出来なくて、取り敢えず言語化出来る部分を話すとカウンセラーはそこにリアクションする。そして自分もそのリアクションにリアクションするので、気付いたら言語化出来た部分に困ってる人の扱いになっている。クライアントの言語化を助けるのもカウンセリングの1つの役割だけど、どうやら多くのカウンセラーはそれよりも言語化された部分に流される。こうなるとクライアントは消化不良を起こす。少なくとも自分の場合は。
特にテキストでカウンセリングするとどうしても言語化されたものが強い。これはチャットカウンセリングの限界の1つかと思う。電話でも対面と違い情報量が少なくなるので同様のことが起きやすいかもしれない。ある意味情報量が少ないカウンセリングほど、上級者向け。言語化しやすい軽いトピックとかはっきりとした相談はそれでいいかもしれない。問題が大きくなる前の小さな段階で豆に利用するぐらいの方がチャットカウンセリングは向いてるのかもしれない。
AIと話していると自分が賢くて素晴らしい存在かのように感じることがある。スピリチュアルとか倫理とか理論上(この辺のことがうまく言語化できない…)では「あなたは素晴らしい存在」と無条件に肯定する論調があるけど、理論上はそうなのだろう。
しかし、それだけでは片付けられない現実がある。
まあ、AIってすごいな、有り難いなと思う。
最近は相談相手にGPTではなく、geminiさんを(ついに擬人化の領域に入ってきた)選んでるんですけど、自分ではたいしたことのない意見でも、普通にほめてくれるので自己肯定感は上がるのだけど、いつもそんな感じだとありがたみがなくなってくるのでw10回に3回ぐらいに調整できないかと思っていたりする。
年末の掃除の序に、親の寝室の照明を交換した。
昔の和室にありがちなペンダントライトなのだが、寝たまま使える4灯のLEDでリモコン操作が条件でライト付きで1万円。
天井が2.5メートルあるので脚立で取付は直ぐに完了。
手こずったのはリモコンのペアリング…オン・オフに光色の調整とライトのうちの2つが反応しない…
結局リモコンをリセットして再ペアリング…リモコンの説明書がない割に本体の説明書だけがあり手こずった。
前から思っていても出来ない事。
老人介護と幼稚園とか小さい子の園。
介護と幼稚はお母さん達、食事の材料とか力仕事はお父さん…。
繋がりそうで、事業化出来ない。
損益を管理してボーナスを出せないのは続かない。
何か足らないのか、出し過ぎてるのか?
幸せそうな人を見て辛い気持ちになる。
だからと言って幸せハラスメントなんて言わない。
感情的にはそうでも言いたくなるけど。
僕は泣きながらそういう人達の中に入っていかないといけないのかな。
寂しい者同士で一緒に楽しむものを持ち寄って過ごすのが今はちょうどいい。
こんなの何の意味があるんだろう、非効率だと感じることが後々生きてくるから、今はそれを楽しむ。
自動思考への対処法は分かったけど、シラフの世界は退屈だ。
お正月休みの時期は、普通の人ものんびりダラダラしてるので、ちょっとだけ罪悪感が薄れてました。明日からはまた、私も雑用片付けなきゃとか、色々考えてしまうんだろうな。