ガストにて、おじさんがタッチパネルを使わずに口頭で注文をしていた。店員さんの言ってることを聞き返したり、塩を持ってこさせたりといわゆる面倒くさいお客さんっていう印象。食事も猫ちゃんロボではなく店員さんが持ってきてくれていた。恐らく猫ちゃんロボも扱えないと予想しての動き。
で、前にCDショップで働いてた時も問い合わせに来る人って年配の人が多かったなぁって思った。ちょっと曲者ぞろい。今となっては良い思い出だけど、それが介護の仕事に就くとはなあ。
ガストにて、おじさんがタッチパネルを使わずに口頭で注文をしていた。店員さんの言ってることを聞き返したり、塩を持ってこさせたりといわゆる面倒くさいお客さんっていう印象。食事も猫ちゃんロボではなく店員さんが持ってきてくれていた。恐らく猫ちゃんロボも扱えないと予想しての動き。
で、前にCDショップで働いてた時も問い合わせに来る人って年配の人が多かったなぁって思った。ちょっと曲者ぞろい。今となっては良い思い出だけど、それが介護の仕事に就くとはなあ。
皆さん、良くも悪くも他者に興味がなかったり、普通の人も実はメンクリに通っていた経験があるとかで、昔よりは偏見が薄くなったんじゃないかな?と思います。
普通に見える人でも、実はうつ病で休職していた時期があるとか、精神疾患は無くとも、それに近い症状があるだとかして、「まー、気持ちわかるわ」的な感じになるのかもしれませんし。
とある人から人のいい所を見つけるのが上手いと言ってもらえた。1時間ぐらいお話して、その人も気付いていない良いところ、強みを伝えるっていうサービスを始めたら需要あるかな?笑
みんな自分のことを多く語らなくても前進してるのが伝わってくる。そういう距離感でええんよな。
人間はそんな論理的な生き物じゃない。
理論で処理できることばかりじゃない。
おかしいって思ったってしょうがない。
俺達はおかしな生き物だ。
突然、怒られると、「え、私何かした!?」と思ってしまうけど、こちら側は特に悪いことなどしてなくて、相手のコンプレックスや地雷を踏み抜いたってだけってこともあるような。
個人としての自分の力はちっぽけかもしれないけど、個人故、自他への事細かな動きが出来る。
若い内は体力と若さに物を言わせ金を稼いでキャリアアップしていく。歳を重ねると金や権力に物を言わせる。そういう生き方もあるだろうけど、それって宇宙から与えられたものを消費していって、いつしか資源が底をつくんじゃないか。
もっと自然な生き方をしていけば、循環とか創造的な力を使うことが出来れば、そっちの方がいいんじゃないか。
と、上手く言語化出来ないもどかしさを感じる。
心のトラウマをワークでこねくり回すのはもう嫌だな。自己啓発的な動画を見るとなんか落ち込む。
心は身体で、身体は心で治すという言葉を信じてみよう。
そして、日々を楽しんでいこう。
生活を楽しむのが1番のメンタルケアなんじゃないかと思う。本当にやりたかったのってそこだよね。
ただ人生を生きたかったんだよ。
少なくともブッダなどの聖人はワークはやってなかったと思う。
それ自体不自然なもの。
医療も福祉も人工的で不自然な介入。
もっと自然で人間らしい、俺たち生きてるんだって感じることをしたい。
人間関係や社会生活で育まれることもある。
少なくとも今はそういうことに取り組んでいきたい。
映画やドラマを観て涙するのは、自分の安全が確保された状況で心が癒されるかららしい。
それでいいんじゃない?
トラウマを引っ張り出して向き合おうとするのは消耗する。
神道においては人は人に教えることは出来ない、道が教えるのだという考えらしい。
生活が教えてくれるんだよ。
それがコミュニケーションの本髄。
コミュニケーションこそ人生。
生きるということは全てとのコミュニケーション。
学びは地続きであることが望ましい。小さな一歩をコツコツと積み上げる。少なくとも自分にはそれが合ってるんだと思う。
わざわざ東京まで出向いて先生のとこに行くのは合わない。疲れる笑
やっぱり朝は歩かんと調子が出ないな。
午前中に床屋を予約したけど、その時間まで寝てしまって、歩かずに憂鬱になってしまう。
訳あって自分の人生を振り返っています。色んなことがあったなと思いだすし、なかなか辛い作業です。我ながら滅茶苦茶なことをやってきた。
でもそんな履歴になるのもしょうがなかったと思う。
禄に世の中のことを教わらずに生きていくなんて無理がある。
教わる環境に入れるレールに入れなかったんだ。
生まれた時からどこかドロップアウトしてるような感じ。
自分が打たれ強いタフな人間だったら、何も分からない所に飛び込んで痛い目にあっても、どうにかそれを乗り越えて色んなことを学んで生き抜いてこれたと思う。
でも自分はそういう星には生まれていないのだとも思う。
ボロボロになりながら、どうにかここまでこれた。
若いんだから大丈夫と突き放され、大人になったら大人なんだからと突き放される。
悲しいかな。
就活中にサポステの相談員さんから急かされるようなことが何度かあったけど、ちゃんと自分のことを理解して断ることが出来た。それはとても良かったと思う。我ながらよくやった。
だから今の職場がどうにか続いているのかもしれない。
人生を振り返ってみると、あの時の失敗は原因はここだよなと思うところがあるのですが、今自分が犯している間違いは正社員として就職するということはそこに身を埋めるようなものだということを分かっていなかったこと。今の職場は独立するまでの踏み台ぐらいに思ってたけど、会社としては10年とか長い期間貢献してくれることを期待されてるんだなということに気付きました。それぐらい就職というのは重い契約。
アルバイトと違うのはそこ。
特に若者に期待されるようなタフさのない自分には重く感じるのです。
バイト感覚で働くのは失礼だと感じるので、付いていくのに必死な自分としては手を抜くのも違うし。
気付いたら職場の環境を自分達で整えていく必要も感じているし、、重く考えすぎなんでしょうか?笑
他の人達からどんな目で見られようとアルバイトをしながら、自分の道を模索するのが良かったのかなと今は思います。
でも、正社員という響きにつられてしまった笑
自分も正社員としてやっていけるのかも?と自分試しの意味もあったけど、そこはブレちゃったなあ。
後は瞑想の先生から、もし将来瞑想の先生になるんだったら正社員の経験があるといいかもしれないと言われたのが残ってたのもあるかな。
やっぱり世間からの「こうあるべき」に振り回されてしまうところがある。
就活中もパートの求人を探していたら「なんで働き盛りなのにパートなの?」って感じで首を傾げられることがあった。
でも自分の中に確固たるものがないとそういうのに引っ張られちゃうんだよな。
そういう反応は辛いものがある。