お子さんの不登校、ひきこもりに悩んでる親御さんは多くは、お子さんが自分で向き合うべき課題を自分の責任と感じてしまって、口出ししたり、手を出してしまうことが多いんじゃないかと思う。
それをやめることがお子さんが自分の力で前に進む余白を作るのだと思うのだけど、それは親御さんにとって辛いものでもあると思う。
複雑な心境。。
お子さんの不登校、ひきこもりに悩んでる親御さんは多くは、お子さんが自分で向き合うべき課題を自分の責任と感じてしまって、口出ししたり、手を出してしまうことが多いんじゃないかと思う。
それをやめることがお子さんが自分の力で前に進む余白を作るのだと思うのだけど、それは親御さんにとって辛いものでもあると思う。
複雑な心境。。
これを親御さんに伝えることが親御さんの課題に踏み入れる行為なんじゃないかとも思う。。(笑)
課題の分離。
アドバイスを求めている人に伝えるのはありかな。
問いに答える義務はない。
引きこもり同士、精神障碍者同士、社会的弱者同士…って必ずしも相性良くない、というか悪いことも多い気がする
立場が近いから最初は劣等感を感じにくいだけで、ちょくちょくマウントの取り合いは発生する
健常者に気を使って話してもらってるときが一番快適だけど、それって対等とは言えないしなー
知らないうちに親戚に自分の話が広まってるのいやだなって思ってたけど、無駄に聞かれたくないことは察して聞いてこないでくれるのはありがたいな…
気を使って頑張って関係を続けていたコミュニティほど、関係が続かない。
これも経験だと思って、その高いテンションに合わせていたけど、やっぱり俺はのんびりしてるのが好きだ。
何か気付きがあって希望の兆しが見えた悩みは人に話せても、どん底の本当に苦しい悩みは話せなかった。
話しても余計に苦しくなるだけだったから。
それが何故か昨夜分かったような気がする。
幼少期の母親に責められた記憶。
助けてくれるはずの存在から責められる。
それが恐くて本当に助けて欲しい時に助けてもらえない現実を潜在意識は創る。
なんて残酷なことだ。
なんて恐ろしいことだ。
恐いよ。。
これもあの時傷付いた自分を自分が迎えに行って癒す為なのかもしれない。
本当に恐い感情は普段フタをしているから、よく分からないんだね。
分かってもらいたいあまり、相手に分かってもらえてない前提で話してしまうことがある。
それをされるのが自分も嫌なんだけど、まずは相手がどの程度分かっているのか確認する必要がある。
その確認をしながら説明するのがいいんだと思う。
家族内で世間体を一番気にしているのはある意味自分かもしれない
世の中の苦しんでいる人は支援に繋がっていない人たちもいる。
不登校の支援につながらなかった子はどうなる?
そのままひきこもりになるケースもあれば、形だけ社会復帰し生きづらさを抱えながら生活している人もいる。
支援に繋がってないから、支援が必要ないわけじゃない。
必要なのに繋がれない人もいる。
支援対象のカテゴリーに該当せず、繋がれない。
どうか、子供や若年者だけでなく、そこに漏れた大人たちへの支援を。
支援がない状況では、自分で必要な社会資源を選んで活用する必要がある。
それがうまく活用できる人はそれでいいのだろうけど、自分に何が必要か、自分の苦しみの原因は何かを自分でわかる人はどのぐらいいるのだろう。
これが必要なんじゃないか?と思って、適していそうな社会資源をあたるが思ったほど効果が得られず苦しむことはよくあることなんじゃないかと思う。
自分なりに色々やるけど、根本的な生きづらさの解決には至らず、部屋の中の象を飼ったまま騙し騙し生きていく。
でも、それにも限界がある。
それは皆そうであって、人生とはそんなものなのかもしれないけど、もっと上手い具合に支援できる体制があったらなと思う。
ある期間が過ぎたら支援対象じゃなくなるシステムだと支援の取りこぼしが発生するのは当然だよなと思う。
もちろん支援する側にも限界があるのは分かるのだけど。
過去にカウンセラーをやっていて、現在はLGBT関連の相談を専門に受けているカウンセラーさんと縁あってお話したことがある。
その方曰く、LGBTで悩んでいる人は世の人が思っている以上に多く、支援が足りていないらしい。
それ以外の人たちは自分でどうにかして、とおっしゃっていたけど、それは後者には前者に比べて社会資源が豊富だという意味だと思う。
支援する側としては全ての困っている人を支援しようとするよりも、社会資源が足りていない分野の支援をするのが社会全体で考えた時に必要な役割なのかもしれない。
この世には完璧がない100%がない、と頭(知能)ではわかっているのですが
自動思考で、完璧や100%や理想があるはずだと思ってしまう。
それに、その私の自動思考の方が真実だと思ってしまう。
これは、発達傾向により起こる認知の歪みだと思う。
が、発達傾向は意識して変えることはできるけど、無意識の時には変えられない
ようは、リラックスしてる状態では、完璧があるはずと思ってしまう。
よくある、恋人時代には気を使われてたのに、家族になると気を使えなくなる(自分の内のものになったから気を使えなくなるアルアル特性)
とは死ぬまで練習なんだろうな
ん?文章ぐちゃぐちゃだな
ま、いっか。
世の中にはどっちかって言うと頭おかしい人と頭おかしく無い人がいて頭おかしい人が真面目でまともな自己イメージを持ってしまうと回りに自分の正義を押し付けたりしてヤバいわけです。
私も頭おかしい方に入るんですけど、学生のころなんかは真面目でまともな人間だという自己イメージを持っていたため能力的にも人格的にもかみ合わず心身の負担が相当きつかったのを覚えています。
社会人になってもそういう人結構いて、まわりの認識もちょっとこいつおかしいなと思ってるのに自分の中では真面目できちんとした奴と言う自己イメージがあるのでまわりとのトラブルもたえずますますどつぼにハマります。
正義なんてゴミみたいな概念は捨てて三方よしの簡易版二方よしを考えた方がいいでしょう。
私は間違ってるが世間はもっと間違っているというスタンスで生きるべきなんだよなあ
ヒトラーはある意味正しいスタンスを持っていたのかもしれない
夏は暑い!凄く・・・。
猫は相手が喜ぶと思ってネズミを持ってくるし、ネズミは相手に恐怖を与えようと猫を連れてくるかもしれない。
ネズミを貰って嬉しくない者もいるし、猫を見て喜ぶ者もいる。
人間同士でも同じことが起きているのかもしれない。
というか起きている。