タイミングとは時間という概念の中のバランスと考えられるかもしれない。
兎に角こうすればいいというものじゃない。
悪口がヒートアップしたらジョークを言うのも良き。
久石譲のミニマルアルバムは「ヴァイオリストを撃て」ではなく Shoot The Violist「ヴィオリストを撃て」でした。ヴィオラの存在感の薄さよ。
サンドバックに 浮かんで消える
素直に嫌だ!ってこともあるし、何かを恐れてるから嫌だってこともある。
似てるようでだいぶ違う。
なぜ蒔いた種は刈り取らなければならないか、カルマは返ってくるのか。
それはその行いがどういうことなのか理解する為。
おもしろいことに何かに怯えていた過去があるとその怯えていた自分を映したような人と出くわすタイミングが来るのです。
神様は刈り取るのを待っているのですね。
フィクションだから現実を超えられるのだ思っていた。
どうやらそれは違っていて、現実こそ現実を超えられる。
現実こそ神が創ったフィクション、創作物じゃないか。
交感神経優位の思考モードから副交感神経優位のリラックスモード(感覚優位モード)になる方法としてセオリーは有効だけど、感覚優位になってきたら後は心身の感覚が求めることを自由にやるのがいいみたい。
リラックスするってそういうことだから。
適当に楽しむこと。
なぜ人は孤独になるのか。
それは自分と向き合う時間を与えられているのだと思う。
同じわがままでも具体的なわがままは答えがもらえやすい。人に相談するにしてもAIに相談するにしても。
困るのは赤ちゃんみたいに何を欲しているのかが漠然としたわがまま。
今日の自分は前者になってチャットGPTに「今すぐタコスが食べたいんだけど、家にあるものでそれに近いものが作れないか」相談して即席なんちゃってタコスレシピをゲット。
昨日の自分は後者で漠然と不満を感じていて、暴飲暴食で歌を歌ってみたり、エロ動画を観てみたりといった具合。
後者は体に負担がかかるので、出来たら前者でいたい。
車の中に紛れ込んだドクガの幼虫の存在に気づいた…。
蚊が車の中に入ってくる比256倍ショック
植物は移動はしないけれど、育ちながらダイナミックに動いている。
256…あなたジゴロなのね?
助けてほしいと言えないことで状況を悪化させているのかもしれない。
マイマイガやドクガなどの毒針毛をもつ毛虫が北海道などで大量発生してるらしい。ドクガは私のところにも出たし、他にも同じ地域で被害にあった人の話しを今日又聞きした。
マイマイガは10年周期で大量発生するらしい。すると疑問なのが、なぜ大量発生した翌年に数が収まるのか?たくさん発生したら、たくさん子孫も残すだろうから、翌年も大量発生するんじゃないか?と思うけど、そうならないのは病原性のウイルスや菌が現れて病気になり大量に死んでいくとか。どうやらウイルスや菌はバランサーとしても働くらしい。
そう考えると増えすぎている人類も例外ではなさそうですね…。新型コロナの発生源の武漢も人口が密集している大都市だし。
中学の卒業式が終わって門を出た時、今までのあの苦しい生活は何だったんだって思った。
夢から覚めたような感覚。
だけど、あの時僕はそれを悪い夢のようになかったことにしたのかもしれない。
色んな気持ちがあったけど全部心の奥底にしまってなかったことにした。
だけど未だにあの頃の苦しさを抱えている。
そして今、その苦しさと向き合う時が来ている。
本当は何度もそのチャンスが来ていたけど、どう対処していいか分からなかった。
でも、今はそれが分かってきた。
辛かったよな。
悔しくて情けなくて、苦しくてしょうがなかった。
封印することが怪物を作る。
もうあんな思いをしたくない。
だめだ。だめだ。
そうやって恐れるから本当に恐ろしい存在になる。
怖い!怖い!嫌だ!嫌だ!
そう思っていい。
声に出して。
感じて。
全部吐き出してしまえ。
心地よい努力を継続していくっていう考え方
その考え方で動いていくべきだったなあ
選択肢が多いと決められない法則みたいなのがあるらしいが
このおれの人生は選択肢が少ない ほぼ無いから 迷わないし決めることが出来る 決めやすい
行動出来ないのも良い結果が出ないのも潜在意識のブロックが関係しているということは分かった。
でも前者にはやっぱり行動が必要。
結局は今できることをスモールステップでもいいからやっていくしかないんだよな。