人間純粋に真っ直ぐに ひたむきに正しき心で生きていると
逆に邪な人間は近寄れなくなるし 離れていく 消えていく どっかいく
勝手に環境は整っていく 同じ志を持った人間が集まってまた何かが始まる
だから決して純粋に素直に真っ直ぐに生きる事を止めてはいけないし 捻じ曲げないで生きていきたい
人間純粋に真っ直ぐに ひたむきに正しき心で生きていると
逆に邪な人間は近寄れなくなるし 離れていく 消えていく どっかいく
勝手に環境は整っていく 同じ志を持った人間が集まってまた何かが始まる
だから決して純粋に素直に真っ直ぐに生きる事を止めてはいけないし 捻じ曲げないで生きていきたい
せめて自分の信じている夢や目標や希望に関してはまっすぐでありたいと思う
痛みも行き止まりも道しるべ
使っているアプリに不具合があり、改善できないか問い合わせてみた。
返信を見ると要は「そうそう、そういう不具合が起きてるのは分かってて対応してるんだけど、まだ解決しないんだよね。ごめんね。頑張って直そうとしてるから許してちょんまげ。」といった内容だった。
こちらとしては不便は変わらないけど、こういう謝罪でいいんだって気付きを得た。
世の中、完璧じゃなくていいのだ。
以下、返信原文。
お問い合わせありがとうございます。
通知からユーザー選択に進めない不具合が生じております。
ご不便をおかけして申し訳ございません。
復旧に努めて参りますので、何卒ご容赦いただけますと幸いです。
お客様にはご不便をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
久しぶりに精神的に辛くなってチャットカウンセリングを受けた。
いまいちすっきりしない。
どんな感情も感じるのは構わない。
感情を否定してしまい抑圧する方が嫌だ。
昔のバイト先で働いていた人が違う店で働いているのを見かけた。今日で2回目。
これはどういうことなのか気になったので調べると
「その人と出逢ったおかげで
いまのあなたになっているんです」
この文章にはっとした。
どちらかというと嫌な思い出のある人達なんだけど、2人ともオシャレだったし、本当は仲良くなりたかったんだよな。
えらいですね!
楽しんでいる人を見るのは楽しい。
自分を愛してる人は人からも愛される。
散歩から帰ってきて靴を脱いだら足がhas a bad smell
うーん春だのう
㋦
悪口ノートっていう本を買ったんだけど、説明を読む前から悪口を書きたい!っていう衝動に駆られている(笑)
縁があるということは周波数が一緒だということだから、その人と同じことをしていなくても、自分も形が違ったり抑圧しているだけで本質的には同じことをしているのかな。
聖書に「欲情した時点で姦淫の罪を犯している」と書いてあったけど、不満を我慢していても本質的には不満を口にしたり、相手にぶつけたりしているのと変わらないのかもしれない。
じゃあ、どうすればいいのかって話なんだけど。
気持ちが落ち込んだり、何もかもめんどくさくなっている時は心身が重たくなっているので、少しずつ変化を加える事が大事。
ということでスマホの壁紙を変えてみる。
母親の料理を食べて「もっとこうすれば美味しくなるのに」と思った。
それと同じように人にも「もっとこうすれば長所を発揮できるのに」と思える人でありたい。
ざっくりと良い人、残念な人と分けて切り捨てるのはもったいない。
自分はどうやら人からのアドバイスは自分のペースを無視して完璧にやらなくちゃいけないと思い込んでる節があるみたい。
だから、人からアドバイスされることが嫌なのかもしれない。
なんだって適応するにはその人のペースがあるし、それでいいんだ。
だからコミュニケーションが必要だし、それでいい。
今まで人からのアドバイスは聞かないか、命令のようにすぐやるか、あるいは出来ない自分を責めていた。
アドバイスは命令じゃない。助言だ。
その人を助けたいからするものだ。
人生なかなか恵まれないと思っていたが
30代はなかなか恵まれていると感じる事が多くなった
そりゃ足りないものは欲しくなるけど
もっと今あるものに感謝しないといけないと気付いた
タイミングとは時間という概念の中のバランスと考えられるかもしれない。
兎に角こうすればいいというものじゃない。
悪口がヒートアップしたらジョークを言うのも良き。
久石譲のミニマルアルバムは「ヴァイオリストを撃て」ではなく Shoot The Violist「ヴィオリストを撃て」でした。ヴィオラの存在感の薄さよ。