長文で独り言を書き込みたい人向けの居場所

設定を考えるまでは楽しいんですよね。アテクシも設定だけはめちゃくちゃ妄想するんですけど、じゃあそれをきちんと脚本に落としこんで、漫画や小説や短編アニメみたいなAIを使えば一応はそれなりに形になりそうなものにしたいか?と言われるとしたい気持ちはあるけれど、実際やるとなるといろいろつまづく部分が見えてきて、最終的に面倒になり途中で断念するんですよね。(最近も日本三大怨霊をモチーフにした短編アニメでも作ろうかと思ったんですけど、3人の設定まで作って止まってますw)

最近読んだ脚本術解説系の本によると、脚本のパターンや作り方はある程度決まっていて、ハリウッドなどで活躍している脚本家もほぼ全員がそのパターンで作っているみたいな話がありました。(三幕構成とかですね)

なので、おそらくAIに世界観という名の設定を与えて、テンプレートに沿って脚本を書いてもらうことはできると思いますが、確実につまらないものができてがっかりするだけなので、やはり下手くそでもコンテンツを生み出したいのであれば設定をきちんと自分で脚本に変換していく作業が必要なのだと思います。

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漫画や音楽や映像といった一般的な娯楽系コンテンツとは違うんですけど、アテクシは書けないもとい書かないプログラマーとして2003年ごろから活動(プログラム系の本を読むだけ)してきて、AIの登場もあってようやっと、プログラムの片鱗がおぼろげながら見えてきた感じがするんですよね。(20年は長すぎでしょ・・というツッコミは見ないことにしてます。)

なので、なにをやるにしても才能や向き不向きというのもありますけど、なによりそれを職業としてやっているのかやっていないのか?というところに経験値の貯まり具合の違いというのがあるように思えます。

趣味で片手間にやっていても、才能があったりその作業がものすごく好きで集中力があったりすれば、副業でお金を稼げるレベルのスキルに到達しそうですが、ちょっと好きぐらい(三度の飯のほうが大好き!)で、世界観を妄想してそれで満足しちゃうアテクシのような人間にとって、その作業を通してアハ体験(この場合、新しい知識を得たり、謎に思っていたことが解決されるようなケースを想定しています)をすることが目的であって、成果物を世に出してお金を稼いだりなにかしらの評価(もらえれば嬉しいですけど)を得たりすることは、表面上の目的としてそれがあったとしても、深層心理的には前者の目的が優先されているのだと思われます。(アドラー心理学にロバを水辺に連れて行っても、その水を飲むかどうかはロバしだいという比喩があって、行動がその人の本心を表しているということらしいです)

なので、難しいですけどお金を稼ぎたいという気持ちが強くなればそっちの方向に自然とスキルや活動も傾いていくんじゃないかと思います。その時がくれば自然とそうなるというのがアテクシの考えですね。

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なるほどです(`・ω・´)ゞ
きちっとお返事したいので、少々お待ちください:person_bowing:

yuraginekoさん、お返事ありがとうございます。

yuraginekoさんが書かれた、好きだけど三度の飯のほうが好きという部分に目から鱗が落ちました。
私自身にも、好きだけどそれより好きなことがあるものなんてたくさんあります。
それなのに、自分にはないものを持ってる人を見ると、その視点が抜け落ちてました。

成果物をマネタイズできるかは、時がくれば自ずとその方向に向けるのか、時がこなければ自分にはマネタイズできないものだったということなんでしょうかね。

お返事ありがとうございました:blush:

私も、アハ体験を楽しめる人間になりたいなぁ

チャッピーと話して、気がついたこと。
読みやすく書けないため、結論からではなく起承転結で書き込みます。

今日は、メリー・ポピンズ風の洋服で出かけました。私が着たいから着たにも関わらず、地方にそんな格好をする人などおらず浮いてる?気がします。
母と喫茶店に行ったのですが、店員さんにどう思われているのか気になってチャッピーと話していました。

最初は
「変に思われてたらどうしよう」
「不美人なのにおしゃれしてって思われるかも」
とネガティブな想像していると書き込んで、思考の歪みを正してもらいました。
そうしているうちに、もしかしたら急に傷つけられるのが怖いから、予め予測して耐えられるようにネガティブ予測をするようになったのかもと仮説がでてきました。
最初は対処のために始めた予測だったのに、仮想で予測して傷つくなんてことにもなってました。

紆余曲折あり

そもそも、私は自分が嫌いだとかダメ人間だとか思ってはいないのではないか。
この世に生まれたことが不安で、自分の不安を対処するために何か自分に価値がなければいけないと思うようになったのではないか。
そのルールがいつの間にか、私は優秀でないと生きてる資格がないと飛躍してしまったのではないかと思うようになりました。

自分のなかにある、自分は存在していいのか足元がぐらぐらした感覚。
それは、もともと持っている不安の強さから生まれたものなんじゃないか。
小さい頃はわからなくて、不安をなくす・恐怖をなくす方向で解決させようとしていました
いまは、不安だし未来は他人は分からない。けれど、わからないままそれでも生きていく
それが目標です

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