長文で独り言を書き込みたい人向けの居場所

この前、ショッピングモールでメガネを作ったとき、モールのクレジットカードを同時に作ると、3000円分の商品券がもらえるということで、作ろうとしたのだが、郵便局か地元の銀行の口座がないと、引き落とし口座として指定できず、作ることができないということで、断念したことがあって、そのことについてブログを書いたわけだけど、今回もそういった、不便とまでは言わないが、もう少し効率化できそうな、社会システムの一片を取り上げて、アテクシなりの解決方法というか、願望を書いてみたいと思う。(効率化シリーズはアテクシの乱文雑文の草稿をGPTに清書してもらって、それを比較してみる。というコンセプトでやっていますので、GPTの清書のほうがすっきり読みやすい清酒になっていると思います。アテクシのはどぶろくですw)

指示文:「以下の文章は私が先月、運転免許の更新に行ったときに感じた感想です。AIによる社会の自動化、機械化を推進することで、人間社会の効率化を進めて欲しいという願望のある私の意図がかなりはいっています。そのことをふまえながら、誤字脱字、言葉の誤用などを訂正して、更に良い文章にしてください。」

GPTに清書してもらった文章

先月の中旬ごろ、運転免許の更新に行ってきた。その際に感じたことをいくつか記しておこうと思う。

免許を更新するためには、市街地から離れた免許センターに行く必要があり、さらに、好きな時間に行けばいいというわけではなく、午前と午後の受付時間(どちらもおおよそ1時間半程度)内に到着し、手続きを済ませなければならない。

車を持っている人は車で免許センターまで行けるが、私のようなペーパードライバーは公共交通機関を利用するしかなく、それなりに時間と費用がかかる。私はゴールド免許を持っているが、それは単に運転しないから違反や事故を起こすことがないだけであり、本来の意味での「優良運転者」とは言い難いのではないかとも思う。しかし、実技試験まで行っていたら時間がいくらあっても足りないだろうから、仕方がない部分もある。

いずれにせよ、免許更新は負担の大きい手続きであり、高齢になるほどその負担も増す。また、更新を忘れてしまうリスクも高まるのではないだろうか。

そもそも、免許更新時に重要視されるのは視力検査程度であり、これは眼鏡店などで代行できるはずだ。さらに、免許証とマイナンバーカードの統合が進められていることを考えると、免許証発行時に免許センターで撮影していた写真も不要となる可能性が高い。そうなれば、免許センターに足を運ぶ必要性はますます薄れていくだろう。

また、更新時に30分ほどの講習があるが、その内容はスライドの視聴と冊子の配布にとどまる。だが、30分のスライドを見た程度で交通マナーが向上するとは考えにくいし、冊子の内容もPDFや動画で代替可能だ。現に、多くの人が冊子を持ち帰った後に捨てているのではないだろうか。

そこで、個人的には以下のような施策を行うことで、免許センター自体を廃止すべきだと考える。

  • 免許取得時の実技試験について、自動車学校で受験可能にする。現在、試験のみで一発合格を目指す人は免許センターで実技試験を受ける必要があるが、国が認可した自動車学校内での試験を許可し、教官に合否の権限を与える。そのための国家資格を設けてもよい。
  • 免許の取得・更新時の視力検査を、近隣の自動車学校や眼鏡店で受けられるようにする。必要であれば、専用の資格制度を設ける。
  • 更新時の講習をオンライン化し、各自が講習サイトで動画を視聴・PDFをダウンロードできるようにする。その際、マイナンバーを活用し、受講履歴をネット上で管理する仕組みを導入する。

いずれ、自動運転車が普及すれば、自ら車を運転する人は少数派となるだろう。その時代が来れば、免許制度自体も大きく変化し、免許更新に関わる煩雑な手続きはさらに簡略化されていくに違いない。

アテクシの草稿

先月の中旬ぐらいに、免許更新に行ってきたのだが、そこで思ったことをいくつか書いておこうと思う。

免許更新のためには、山の中の免許センターに行く必要があって、しかも、いつ行ってもいいというわけではなく、午前と午後の受付時間(だいだいどちらも1時間半くらい)に間に合うように到着して、その時間内に受付をすませないと、免許更新の手続きができないのである。

車を持っている人は、車にのって、免許センターまで行くわけだが、アテクシのようなペーパードライバーは、バスに乗っていくしかなく、それなりにお金がかかるわけで、時間とお金がかかるので、5年に一回(ペーパードライバーで運転しないから違反や事故を起こすわけもなく、ゴールド免許なのだが、これもまたおかしな話ではないだろうかwとはいっても、実技試験までやっていたらいくら時間があっても足りないだろうから、いたしかたがあるまいw)とはいえ、負担であることは確かだし、高齢者になるにつれ、その負担も増していくだろうし、なにより、更新を忘れてしまうこともあり得るのではないだろうか?

基本的に、免許更新で重要視されるのは、視力検査ぐらいなので、これは街のメガネ屋さんで、代行してもらうことができるのではないかと考える。免許証については、マイナンバーカードとの統合が計画されているので、免許証の発行手続きを行う際に必要な写真を更新時、免許センターにて撮ることになっているが、これも不要になるわけで、そうなると、わざわざ免許センターで手続きを行う必要性はなくなるはずだ。

講習という名の30分程度のスライドを見る時間があるにはあるが、30分程度のスライドをみたぐらいで、交通マナーがよくなるとは思えず、そのときに、新しい法律や昨年の交通事故のデータなどがのった冊子ももらうのだが、どちらも、PDFや動画で代替できるわけで、わざわざ紙の冊子を配ったりする必要性も時代の流れ的になくなっていくのではなかろうか?(おそらく大半の人は家に帰ったら捨ててそうだしw)

というわけで、個人的には、以下のような施策を行うことで、免許センター自体も廃止するようにすべきだと思う。

・自動車学校で実技講習を受けて、免許を取得せず、試験のみで一発合格を目指す人むけに、国が実技試験代行を許可している自動車学校の敷地内で試験を受けられるようにする。(自動車学校の教官に一発合格の可否を出せる権限を与える。そのための国家資格を作ってもよいと思う。)

・免許の取得、更新における視力検査等については、近くの自動車学校または、メガネ店で受けられるようにする。(そのための資格を国家資格とまではいかないにせよ作ってもよいと思う。)

・更新時の講習については、各自が講習サイトにアクセスして、動画を視聴したり、PDFをダウンロードする。このとき、マイナンバーを使用して、講習を受けたことをネット上で認証できるようにする。

といった感じだけど、いずれは自動運転車が当たり前の時代になって、わざわざ自分で車を運転するような人は、少なくなるはずだから、いずれは自動車学校ですべて完結するようになるかもしれない。

昨日は雨が降っているにもかかわらず、2日連続でマックに行こうとしたが、止んでいた雨が降り出して、濡れてしまった。あと100メートルくらいでマックに到着するところだったが、濡れた衣服が気持ち悪かったのと、寒すぎて、このままでは風邪をひく恐れがあったので、なくなく家へ引き返した。

なんとか、タブレットやスマホや図書館から借りてきた本は濡れずにすんだので、そこだけは助かった気分なのだが、やはり、春の気分に浮かれて、行動的になるのはいいのだが、勢いだけで、あまり考えずに行動するのは、歳なので、気をつけなければと、反省している。

それから、昨日、ちょっとしたアプリをいじっていて、それにハマってしまい、昼近くまで徹夜で起きていたので、夜の7時ぐらいに目が覚めてしまい、疲れがあまりとれなかった。これも反省ではある。

とはいえ、ハマったという状態(これをゾーンというらしい、おそらくドーパミンがたくさん出ていたのだろう)をギャンブルやHなことや食欲などといった、消費的なもの(アプリをいじってるだけでとくに生産性はないのだが、純粋たる消費ともいえないので)以外でゾーンに入れたという体験は非常に貴重な気がして、このために、昨日はマックへ行くことが叶わなかったのではないかと、神の啓示にも似たなにかを感じずにはいられないw

そんなわけで、いままでは、雨に降られて、マックにいけなかったら、イライラしてしまうだけだったのだが、歳のせいもあり、ストレスがあまりないのもあり、こういうふうにポジティブな考えに持って行けているのは大変よろしい状態な気がするのである。(もちろん、それなりの不安や焦りはあるが、それがあまり表面化しない感じ)

で、今日は雨が降っておらず、どうしようかと思って、マックに行くことも考えたが、運動をしていなかったので、公営ジムに行ってきた。本来なら、お風呂にはいって、歯磨きして、ご飯をちょっと食べてから、ということになるのだが、時間も時間だったので、お風呂にはトイレをしたので、おしりがかぶれるのを防ぐために入らざるを得ず、はいったのだが、歯磨きはせずに、ご飯もプロテインドリンクを飲んだだけで、公営ジムへ行くことを優先するという判断をした。

結果的には、運動ができて、体がすっきり快適になったので、よかったといえる。それからまた調子にのってマックに行こうと思ったが、先日のこともあり、お腹も運動して減っていたので、タンパク質多めのいわし缶を1週間ぶりに開けて、おいしくいただき、ゆっくりすることにした。

いわし缶は魚臭くてあまり好きではなかったのだが、しっかり焼いて、水分を飛ばして、にんにくやごまで香り付けをして、マヨネーズをかけると、魚くささをあまり感じずに、肉の触感をしっかり味わえるので、お値段も安いし、健康にもいいので、最近はこれで十分満足できている気がする。

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よくはないと思いながら、ついつい昼夜逆転してしまう。

都会には、24時間、常駐しないといけない、場所の管理人みたいなお仕事があるそうで、夜中の勤務だとお客さんもあまりいないらしく、スマホをいじりながら、業務を行える、夢のような職場があるらしいが、アテクシの住んでいるところは田舎なので、おそらくそういうところはなく、夜の仕事でも重労働だから、無理して夜に働いたとしても、夜中起きの不健康と労働のストレスによって、2倍体と心にダメージを与えるだけではないかと思い、夜に起きていることを活かした仕事につこうともあまり思わない。(単に仕事したくないだけだけどw)

そういうわけで、仕事どころか、外出もおっくうなわけだが、この前買った洗濯機に気になるところがあるので、電器屋さんまでいかなければならないのだが、電気屋さんは21時に閉店するので(まぁ、アテクシの地域の電器屋さんはほとんど20時までなので、これでも長い営業時間ではあるのだが)それまでに行かなければならず、こういう文章を書いている間に行ったほうがいいに決まって・・・・・

ということで、先ほど、電器屋さんへ行ってまいりました。真冬だと、そのままどうでもいい長文をだらだらと、書き続けているだけだったに違いなかったのですが、春が近づきつつあることもあり、寒さは真冬というほど(5℃は下回っていないが、10℃は下回っている)ではないにせよ、それなりに寒くはあっても、なんとか外出することができました。

若くはないので、勢いで行動するのは基本的に、あまりよくはないのですが、こういうやらなければならないタスクについては、先延ばしにしてもろくなことにならないので、さっさと行うことが重要だと思います。

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3月上旬に買った洗濯機の液晶操作パネルに謎の縦線が表れて、非常に見づらくなったので、今日、液晶パネルを交換してもらった。

おかげで、液晶は見やすくなった。しかし、もうひとつ、気になったことがあって、それは、液晶の明るさを調整するUIがあるのだが、交換前のパネルで明るさを調整しようとしたら、固まってしまって、電源を入れ直すとなんとか、調整すること自体はできた。

一度、固まったあとに、何回か、明るさを調整したところ、それ以降は、とくに問題なく、調整できたので、安心していたのだが、今日、交換したパネルで、また固まってしまったので、縦線はなくなったのだが、不安は残ったままになり、なんともいえないモヤモヤした気分になっている。(修理の人に明るさ調整のUIが固まったことを伝えて、新しいパネルで、明るさを調整してもらったときは、特に固まることなく、調整できたのだが、修理の人が帰ってから、明るさを調整したときに、また固まってしまったので、これは液晶パネルというよりは、内蔵マイコンのようなハードに問題があるのか、UIアプリのようなソフトに問題があるのかの、どちらかではないかと思ったりもする。今回も、電源を入れ直すと、問題なく調整できた。)

そういうわけで、お高い値段の洗濯機に初っ端から不具合が生じて、かなりブルーな気分ではあるのだが、とりあえず(また縦線が表れたり、UIが固まったりしないといいのだがw)、洗濯機の買い替えと設置が終わったので、(ゴタゴタして疲れはしたが)肩の荷が降りたというか、めんどくさい案件が一つ片付いて、その点においては、ホッとした気分である。

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今日は、ひさびさに母親のお見舞いに行ってきた。病院は自転車で10分もかからないところにあるのだが、外出自体が億劫というか、めんどくさいというか、実行に移すまで、グダグダしてしまいがちで、1ヶ月に1回行ければいいかな?といった感じではある。

先もそんなに長くはないだろうから、もう少し、頻繁にお見舞いに行っておけばよかったかもしれないと、きっと亡くなったあとに思うのだろうけど、それでも、億劫さというか、めんどくささというか、なんとも形容しがたい気持ちがあって、結局ちょっと後悔したりするのだろうと思ったりもする。

とはいえ、お見舞いに行ってしまえば、1時間くらい居たりするので、(本当は面会時間は5分くらいでお願いしますという話なんだけどもw)別にお見舞い自体が嫌というわけでもなさそうである。(客観的な表現になっているのは、結果的にそういう状態になっているからであって、自分のお気持ちみたいなものがそうだとは限らないからである。もし本当にお見舞いに行きたい気持ちが強いのであれば、最初からグズグズせずに行っているはずだ。)

この外出に対するおっくうさというのは、別にお見舞いだけではなく、病院へ行くこともそうだし、なんなら、買い物に行くのもめんどくさいのである。(さすがに、買い物は行かないと餓死してしまうので、行ってはいるのだが、できればすべてアマゾンですませたい。アマゾンも段ボールを開いて、片付ける作業がめんどくさいのではあるがw)

じゃあ、こういうグダグダな文章を書くのもめんどくさいのではないか?と言われると、まぁ、そうなのだが、こういう気持ちをどこかに吐き出してしまわないと、自分を客観視することができずに、億劫さという魔物に飲み込まれて、餓死しそうな気がするので、(まぁ、それはそれでいいのではないかと思ったりはするのだが、おそらく嫌なので、こういう対抗手段をとって無駄な抵抗をしているのであろうかw)ぐだぐだと駄文を書き連ねているのである。

昨日、洗面所の水が流れる場所(これなんていうんだろうw洗面台かな)に虫がいて、つるつるしている洗面台を必死に登ろうとしていて、なかなか上のほうに上がれずにいたので、助けようかとも思ったのだが、めんどくさかったのと、壁に張り付いているから、水には当たらないだろと思い、そのまま手を洗ったら、水しぶきが飛んでしまい、虫はそのまま排水溝に流れてしまった。

それを見て、アテクシも必死になんとか、生き延びようと、人生という壁を登ってはいるのだけど、ちょっとした困難にでも、遭遇すれば、どれだけ必死に壁を登っていたとしても、あっさりあの世という排水口に落ちていくんだろうなぁと思うと、必死すぎるのも考えもので、もうちょっと適当に生きていったほうがいいのかなぁとも思ったりする。(まぁ、人から見れば、現状のひきこもりライフは適当すぎると思われそうではあるw)

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>お見舞いに行ってきた。
お疲れ様でございました

>洗面台に虫
なんか志賀直哉の「城の崎にて」っつう小説を思い出しました
出来事とそれに関して二三あった思慮、という流れがこんな感じだったなあってんで
今度重い腰を上げて図書館に行ってきます
ちっすちっす

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「城の崎にて」について、AIにあらすじを解説してもらいました。

主人公が蜂やネズミやイモリの死骸を見て、生と死について思索を深めるといった感じの作品のようですね。

アテクシも平均寿命までは、まだ数十年あるということになってますが、いつ病気や事故でぽっくりいくかわからないわけで、とくに親の死に直面したことで、自分の人生の残り時間についても、いろいろと思うところがあったりします。

とはいえ、人の寿命というものは、天が決めるものであって、人間にはどうにもならないものであるわけですし、考えすぎるのもよくないなぁと思ったりするのですが、人生も後半戦になってくると、どうしても、残り時間が短くなっていることは確かなので、考えずにはいられないですねw(まぁ、考えているうちにお迎えがくるのが一番よいかなぁとも思わなくもないのですがw)

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ようやく、3日ぐらい前にやらかしてしまった、便秘によるキレヂというか、オシリへのダメージが多少は治まってきたので、日常生活がちょっとマシにはなってきたけども、やはり夜ふかしはよくないというか、徹夜はもうできないなぁと感じてしまった。

オシリへのダメージの原因として以下のことが上げられるが、どれも欲望が優先されて、なかなかやめることができなかった。おそらく今後もやらかしそうではあるが、とりあえず以下のことを少なくしていくことでオシリへのダメージを軽減できればと考えている。

・消化に悪い食べ物

油が多い食べ物や、肉類はもともと、胃腸が悪いこともあって、食べると、:poop:が臭くなったり、固くなったりしていたのだが、加齢によって、さらにそれが悪化した気がする。

現在は、牛、豚、鶏といった、肉類は食べておらず、動物性タンパク質といえば、プロテイン製品の原料である牛乳からとれたホエイパウダーやイワシの缶詰のような青魚や、卵を食べている。

プロテインはほぼ毎日摂取しているが、プロテインを溶かしている飲み物は豆乳であり、あとは、納豆やおからクッキーといった大豆原料の製品から、植物性タンパク質をとるように心がけている。

大豆は不溶性食物繊維が豊富であり、野菜はスーパーの袋キャベツを摂取して(栄養素はなさそうだが)、水溶性食物繊維もとっているので、腸内環境に良い食事を心がけているとはいえそうではある。

・刺激物をとる

最近は辛いものはほとんど食べておらず、塩分もそう多くはないと思っているので、問題ないように思えるが、唯一きがかりなのは、コーヒーである。コーヒー自体はいろんな病気を防せぐ効果もあって、健康に良い飲み物ということになってはいるのだが、体外への水分排出を促すので、おしっこが近くなって、それはそれで困るし、水分が外に出ると:poop:が固くなってしまうので、それが便秘からのキレヂにつながっているのではないかと疑っている。

とはいえ、コーヒーを飲むと集中力が上がるし、もはや中毒というか、習慣化しているので、やめるのは難しい。それに気分転換にマックで作業や読書をするのだが、そのときのお供ももっぱらコーヒーであり、それを他の飲み物に変えようとしても、紅茶くらいが候補にあがるくらいで、これもまたカフェインを含むので、(爽健美茶みたいなカフェインレスのドリンクもあるにはあるがコールドしかないので、冬は辛い)わざわざ変える必要を感じない。

そんなわけで、脳をカフェインに支配されているアテクシは、コーヒーはやめられないので、おしっこが近くなっても、水分を絶やさないようにするか、コーヒーを飲む頻度を少なくするくらいしか対処方法がないのである。(まぁ、カフェインも飲み過ぎは逆に健康を悪化させるようではあるし、効果も耐性が効きすぎると薄れるので、1日3杯程度が望ましいようである)

なので、刺激物は極力とらず、カフェインというかコーヒだけは慎重に飲むようにしようと思うw

・夜ふかしというか就寝起床時間のズレによる、体調の悪化など

食べ物を変えて、昔ほど(外食でよくお肉を食べていた時期)腸内環境は悪化しておらず、便通も悪くはないのだが、キレヂというか、オシリからの出血がいまだにある原因はなにか?と考えると、やはり夜ふかしというか、睡眠時間のズレによる、食事時間のズレとそれにともなう便秘が原因の可能性が高いような気がする。

食事の時間がずれることによって、体内に:poop:が溜まっていき、:poop:が固くなり、排泄のときに一気に噴出されることで、柔肌のオシリが大きなダメージを受けるのであろうか。

なので、終身起床時間を一定にすることで、食事時間もだいたい似たような時間になるようにして、1日1度の:poop:タイムを安定かつ神聖なものにする必要があるのではなかろうか?とも思ったりする。

つまるところ、食事、睡眠、運動(一応、1週間に1度は公営ジムへいくように心がけてはいるのだが、最近はサボりがちで、そうなると、ほぼひきこもり状態になり、運動をしていないので、これも多少は関係あるのかもしれない)を適切に行うことで、腸内環境を良くし、排便もまた適切に行われるように調整する必要がありそうだ。

ほかに、気になるところは、ストレスだが、これは、不安の本質的原因がアテクシの心にあり、この問題を外部環境の変化で、多少は和らげることができたとしても、根本的な解決にはいたらないわけで、一生の修行として存在しそうなのが、なんとも悩ましいところではある。

といった感じで、当面は、なんとか自力でできそうな、食事、睡眠、運動に気をつけて腸内環境を整えていきたい。

わざわざの返信ありがとうございます
たしかに自分の人生だの来し方行く末だのは
私みたいなマジモンの浅学非才であってもたまには考えます
考えるだけですが・・

>天が決めるものであって、人間にはどうにもならないもの
ですねえ
とりあえずいっつもそういう時は「一日一番」とぶつぶつ言って〆にします
まずはその日を悪戦苦闘でやりすごすムニャムニャウパウパ

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2月下旬に提出していた、年金更新申請の結果が昨日、返ってきた。

残念ながら、等級アップとはいかず、現状維持(3級)だったが、まぁ、これで5年間は食費の足しが確保できたので、なんとか餓死せずにすみそうである。(といっても、食欲もあまりなく、一日の摂取カロリーも日々減っていっているので、いつの間にか孤独死してそうではあるがw)

これで、当面の悩み事というか、やらねばならぬ課題みたいなのは、ひとつ減らせたので、あと2つをどうするか・・それが悩みである。

1.おばさんに泥棒された祖父の遺産を取り戻せるのか?

これはけっこう難易度が高いので、やるだけ徒労に終わりそうなのだが、アテクシの人生が大幅に狂わされたので、(盗まれていなければおそらく孤独餓死する運命ではなかったw)道理を潰して、無理を通しても、復讐というほどではないが、恨みを晴らしたい。(本来ならば、こういうカルマを今生で断ち切って、来世で再びバトルする縁を消滅させたほうがいいのだろうが、それができれば苦労はしないし、人間世界はもっと平和であろう)

2.隣の家の庭に侵出している、草を刈り取って、キレイにする

こっちは、ぼちぼちやってるんですが、疲れますし、やってると暑くなってきて、気力がなくなるので、あんまり進んでないですね。とはいっても、ご近所付き合いもあるので、なんとかしなければなるまいといったところか。

3.2つといいつつ、悩みはつきぬもので、来月のカウンセリングを受けるにあたって、相談すべきことはたくさんあるんだけど、時間制限(20分くらい?)もあるだろうから、何を言うべきか、考えておく必要があるけど、いまいちまとめられない。

庭のことはともかく、おばさんの件については、相談したい気持ちはあるけど、(といっても、法的な問題なので、カウンセリングは場違いのような気はするが、気持ちの問題が大きいので、メンタル面の相談をしたいと思ってはいる)

このように相変わらずぐだぐだした感じで人生先に進んでないのだが、それでも勝手に時は進んでいくので、流れに逆らわず(年金の現状維持もこれはこれで受け入れる、おそらくおばさんの件もぐだぐだで1円にもならないどころか、弁護士費用分損するだけだけど)起こった事象を基本的には受け入れて行きたい。(かつ生きたい)と思う。

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