私のひきこもり履歴書

続きはまたいつか:sleepy:
ざっくりで、引きこもり出したのは高卒後からで、
やる気なし、めんどくさがりの歴史:fearful:

「いいね!」 5

三人兄妹の末っ子に生まれる
兄は県外、姉は既婚者なので現在は母と2人暮らし。
中学のときに両親が離婚。
父親は経済的DVをする人間だった。母に対するモラハラや姉に精神的虐待もしていた。

小学校からいじめに遭う。集団で囲まれたり無視されたり石を投げられたり。
中学生になるといじめの主犯格がいなくなって平和になったけど、一時的なものだった。
もっとたちの悪いいじめっ子が出てくる。いきなり蹴られたり、また無視されたり。しかも理由は他の子と話していたからという超幼稚なもの。

部活の顧問からは雑に扱われ、いじめられる。
言動がまず乱暴な教師だったので常に機嫌を伺って怒らせないようにしてた。別の子が叱られる姿を見るたび怖くて逃げ出したくてたまらなかった。
一年生のときだけ部活に入っていればいい制度だったので部活はすぐ辞めた。
中学2年になってから本格的に引きこもる。中3の頃まで続いた。
ここから本格的なぼっちになる。昼休み中もずっと読書。一緒に勉強する人間もいない。
修学旅行では部屋で一人でテレビを見てた。テレビがあるのは救いだった。
ひどい修学旅行だなと思うけどUSJは良い思い出。また行きたい。

高校に進学する。知り合いが誰もいなかったのですごく開放的だった。と同時に、友達作りという難関が差し掛かる。
なんとか友達を作れたけど、やっぱりいじられる立場になる。
女子校だったからか、バレーの強豪校だったからかとにかく勝ち気な子が多くていつも悪口が聞こえてつらかった。
優しい子ももちろんいたが、そんな子と仲良くなれたらこんなに苦しくなってない。
挙句ギャルっ気増し増しな子に目をつけられ、散々いじられる。ついには、その子のデート現場を目撃してしまい、絶対いじられると次の日学校を休んだ。
そのままずるずる休んで、引き篭もって高校を中退。
今思えばくだらない内容で人生を棒に振った。
だけど当時の自分からしてみれば周りからいじられるのは地獄以外の何物でもなかった。今でもたまに思い出してはしんどくなる。

高校を中退して、働こうと頑張る。
ここらへんで精神病院に行くが、外が怖くて病院に行けない。カウンセリングも二人きりが怖くて無理。結局通えなくなる。
面接にはとにかく落ちまくった。面白いぐらい落ちた。面接官にも暗いとか言われてしまう。
ようやく働かせてもらえたところは短期の花屋だった。一日しか働けなかったけど貰った給料は嬉しかった。

成人してしばらく経って、母の実家がある県へ引っ越す。姉も母も父親が原因でそれぞれうつと統合失調症だったこともあり精神病院へ。

ようやくまともに病院へ通い始める。手帳ももらい、障害年金も貰うようになった。
今は社会復帰のため必死に頑張ってます。
ここまでお読み頂きありがとうございました、お目汚し失礼しました┏○ ペコリ

「いいね!」 10

YUKIOさんって女性の方だったんですね。単純に男性の方だと思ってました。

「いいね!」 1

女らしくもないし地声も低いのでネットではよく男に間違えられます…
不快な思いをさせてしまってたらすみません

「いいね!」 3

中学2年ぐらいでイジメに合う。
しんどい期間だったけど、イジメられるもの同士のグループに
入ったり、まだ小学校からの友人などの逃げ場が存在した為、
そういう場所を使って乗り切る。
また中学時代は進学塾に入って勉強熱心だった為、
そちらに集中しなければ付いていけなかったのも良い方向に働いた。
中学3年にもなるとだいぶ平和になったが、変わらず勉強の日々に
だんだん限界が来て志望校は公立の普通科で良いやとなる。

高校になると解放され全く勉強しなくなる。
テスト前に初めて教科書を開き一夜漬け。成績も5から1へ、
入学1ヶ月もしない内にタバコで停学。学校はほとんど遅刻し、
途中で帰ってゲームセンターに行ったりしていた。
気が弱いので不良というには少しイメージ違う、
ただ自分のやりたいことやって遊んでる少年だった。
子供がこう変わると親とも揉めそうだが、この頃すでに兄が高校中退、
妹も不登校が続いていた。特に親は妹の事をよく面倒見ていて、
私は何も言われる事は無かった。
ただ友達は普通にいたし、部活をやってない分バイトもして
見た目オタクっぽいがそこまで暗い人間では無かった。

高校3年になると、なぜかよく緊張するようになった。
本を読むたびに声が震えたりして、何かを発表する場に出るのが
苦痛になり、時にはお酒を飲んで学校に行ったりした。
その時はそういう機会が余りなく一時乗りきったらと、そこまで
気にしてなかった。
卒業を迎え進路を考える時がきた。とりあえず勉強は嫌いなので、
大学は無かった。しかし働きたいとも全く思わなかった。
そもそも何か決める必要があるのか?と甘えた考えだったが、
たまたま見たコンピューターの専門学校に、来年からゲーム開発化が
出来るなんていうのを見つけ、ゲームが好きだったのでこれが良いと
親にお願いして入れてもらった。

新しい環境にドキドキし、専門学校の教室を訪れると年齢も結構
バラバラで高校までとは全然違う雰囲気に驚かされたけど、
全体的に穏やかで私も初登校ですぐに友達が出来た。
もちろん出来る友達もゲームをしてるし素晴らしい環境だなと思った。
小中校までは近場だったが、専門学校は遠いので電車通学になった。
朝は満員で苦しいとは思ってたが、何かもの凄く体調が悪い時に
乗ったのか、ある時、途中下車したいほどしんどい時がおとずれた。
それからというもの電車を乗る度にしんどくなり、時には途中で
降りて休憩しながら登校していったが、それも苦痛になりどうしよう
かと思ったが、片道一時間ほどかかるけど自転車でギリ行ける距離
だったのでしんどかったが自転車で登校する事にした。
これでまあ何とかなるかと思ったが、今度は授業中に同じように
苦しくなっていき、頑張っていたがついに断念した。

続く:sleepy:

「いいね!」 7

考えたらタイトルが、引きこもりの履歴書なので
小学校部分のエピソードいらんかったなと感じ、
後半は省いて、中学からにしました:sweat_smile:

短く纏めようと思ったけどダラダラ長くなっててすいません。

「いいね!」 3

専門学校を辞めようかと思っていた時、親が一度精神科のような
所へ連れていってくれた。
どこかの大学病院だかわからないが、はなれの病棟で、入ると先生と
横に3人ぐらいメモを取ろうと座っている研修生らしき人達がいた。
その頃はだいぶ緊張もしやすかったので、え、こんな環境で話すの?
という感じで、その時の気持ちを話していたと思う。
診断は細かく覚えていないが、要は疲れてるだけでしょうという
感じだった。
今聞いたら、?ってなりそうだが、その時は別に何とも思わずそれを
受け入れた。と、同時に医者に行っても仕方ないと思えた。
自分が無知だったのかも知れないが、当時はまだ心の病気に関して
あんまり世間に知られていなかったと思う。加えてインターネットも
まだそれほど発達していなかったのでそういう所からの情報も得て
いなかった。後に、社会性不安障害だとかパニック障害に該当する
ようなものかも知れないと知った。
結果、何もよくはならず、結局専門学校をすぐに辞めてしまった。

その後は家でしばらく引きこもっていたが、母親の方が新興宗教を
していて、それの修行のようなものに行かないか?と言われ、
新しい事を始めたい気分ではなかったが、何か助けになればと思い
行った。ちなみにTVで話題になったようなアレなやつではありません。
内容としては、同じような知らない人達と寝泊まりを共にして、
その宗教についての勉強や奉仕活動といったものを3ヶ月ほど続けた。
身体のしんどさは同じようにあったけれども、あまり頑張らなくて
良いことや、同じように身体や心の悩みを抱えた人達が多くいたので、
一種の安心感のようなものがあり、なんとか最後まで過ごす事が
出来て少しは自信がつき元気を取り戻した。
考えさえ学べば作法はめんどくさいと思う人間なので、宗教自体には
全くハマらなかった。

(これ以降はダメな時期が長く続き時間軸が非常に曖昧)

そこからは目的が無かったので少しアルバイトをしてみたり、
まだ若干だが高校時代の友達と繋がりがあったのでたまに
遊んだりしつつ過ごしていた。
そこから妙にお腹の調子が悪くなることがあって、医者へ行くと
安部さんでお馴染みになった、潰瘍性大腸炎という病気だという
ことがわかった。一生の持病のようなものであるけれど私の場合は
今現在も症状は軽い方だ。ただ、あまり無理をしては行けない事が、
社会復帰する意欲を削いでいく一つの原因だったかもしれない。
次第に、大学も卒業し就職していく友達との違いに劣等感を感じ
疎遠になっていき孤立していくようになる。

そこからインターネットで引きこもりのサイトを検索して掲示板や
チャットを見たりしている中で自分の病気についても徐々に
理解してきた。そこで改めて心療内科に行った。
難しいのは、しんどい時には外出出来ないのでそういう時の自分を
診てもらうと理解してもらえるかもしれないが、いざ行ける時と
いうのは元気でいまいち自分の症状を言葉に出来ない事だ。
友達付き合いでもそういう相談したりはしない程度の仲だったし
話慣れてない事も響いてるんだろうと思う。
ただその時は初めて薬をもらった。なんていう薬だか忘れたが
最初なんで軽いやつだったと思う。飲んでみたら酒を飲んだ時のような
ボーッとしたような感覚になり、ああこういう感じかーと思った。
と同時に意識してしまう時点で薬を飲んでも無理だと思った。
これでは解決しない。

続く:angry:

「いいね!」 7

そうなんですね。
不快な思いなどしてませんよ。:deaf_woman:謝らないで下さい。私がただ勝手に思い込んでたって話です。 :slightly_smiling_face:

「いいね!」 3

カウンセリングにも行ってみた。
結構長いこと行ってたけれど、何を話したのかほとんど覚えてない。
最終的には行動するしかないという結論で、自分でもそれはよく
わかっていたけど、どこから勇気とやる気を出すかだった。
カウンセラーの人が一度、他の利用者と交流してみたらと提案して
下さって、相手の方にも承諾を得て会って交流したのだけれど、
女性で、2回目ぐらいの時にその人から告白されてしまった。
普通に断って気まずかった事をキッカケにもう通うことは辞めた。

そこからなんとなくで、引きこもりの集まる支援施設に行ったり、
府の引きこもり就労支援事業に参加したりしたけど、その時々で
頑張ったりはあっても結局は引きこもりに戻った。
職業訓練学校にも通ったが選んだ機械加工の難易度が私には高すぎて
卒業後、とりあえず面接には行くのだけれど、もうその時点で
やっていける気がしない気持ちが顔や言葉に出ていたと思う。
もちろん受かるはずもないし、学校に入った時間そのものが、
無駄だったように感じた。やっぱりやる気がなくなって、
ゲームと引きこもりサイトなどを見ながら過ごす日々に。

ここへ来て書いていなかったのですが、旧の引きこもり村も
利用させて頂いてたと思います。管理人さんにお聞きしたいのですが、
途中でラジオをやっておられませんでしたか?毎回ゲストを呼んで
話をするみたいな事をやっておられた気がします。
実はそれに出て話させてもらった時がありました。
もしかして他サイトなどの勘違いでしたらすいません。:sleepy:

そういうの事がネットで出来る事を知ったので自分でもラジオ
みたいなものをやって見たくなった。
というのも中々チャットなんかで話に入っていくとこが難しい人
だったのと、出来れば自己中だが自分のわかる話をしたいと思った。
ただ永遠と話す事は自分には不向きだった、そこでゲーム配信
というものも出来ると知り、これなら良いかもとやり始める。
今はそこら中に配信だらけでなかなか観てもらうのは難しいけど、
当時は私の粗末な配信でも数人から多いときには2、30人は
観てもらえてそこそこ楽しい時間を過ごしたのが20代中~後半。
初回はインパクトを持たせようと、ブレスオブファイア3を寝ないで
初見クリアしたのが懐かしい。いきなり35時間配信ぐらいしていた。
今はそんな元気はない:flushed:

ゲーム配信もはじめはコンセプトを決めていたが、やりたいネトゲを
見つけてからは、その配信だけになってしまい同じネトゲをやる
ネット友達との身内配信のような形なっていくことの申し訳なさや、
飽きがきて結局はやめていった。

そんなこんなで引きこもりにより働かなきゃならないエネルギーを
溜めて30代。宅配便配達の仕事を始めた。
初めてのフルタイムの仕事だったが案外やれることに気づいた。
しかし、思ってた以上にテキパキ動かないと間に合わない事に焦って
何度か事故を起こした。事故を起こすと給料から引かれ、時には
全く0のような月もあった。私も向いていなかったが、他にも無理で
辞めていった人も多く、人の入れ替わり激しく時には従業員同士、
喧嘩もしながらで、段々と嫌になって私も結局は辞めた。
といってもまだ私の頃は今よりも通販が少ない時だった。
辞めてからTVで配達員が荷物を投げるようなニュースを見たけど、
いけない事だけど気持ちはわかったし、この仕事をしたからこそ荷物の
受け取りに不在は出来るだけしないように気を付けている。

そこからは、少しまた引きこもっていた。
親は元々農業だったが、祖父が亡くなってからは農業を辞め、
外に働きに行ってた。そうした父親も定年になり、勤めていた職場に
空きが出来たので紹介で入れてもらった仕事に今現在:sleepy:

「いいね!」 8

pongashiさん、YUKIOさん、投稿ありがとうございます :bowing_man:
読ませていただきpongashiさんとはタメで頑張っておられるようだし、YUKIOさんとは今現在の状況が似てて、個人的にも励みになりました。

あーそうだったんですね!それじゃ昔一度肉声でも話してるんですね。その節はありがとうございました。久しぶりに聞いてみようかと思ったけど、アップしてたサービスが閉鎖してて聞けませんでした。でも昔のブログとかみると、今の自分よりいろいろ活動してたなと(笑)

New村。でもネトラジ的な音声を使ったものを何かしらやりたいという思いはあるけど、なかなか精神的余裕がなくて始められずにいます。まぁ機運が高まったら始めると思うので、そのときはまた良かったら参加よろしくお願いします。

「いいね!」 4

見ていただいてありがとうございます。

ここへ来たとき、サイトは知った名前でしたが、
管理人さんの名前に覚えが無かったので、合ってるのか不安でした:sleepy:
確か、ラジオのタイトルは村ジオみたいな感じだったと思います。

こちらこそありがとうございました。
その時のファイルがあったなら売って欲しいぐらいでしたけど、
残念でしたね:fearful: また新しくやられる気力が沸いてこられれば、
良いのですが、ぼちぼちいきましょう。

「いいね!」 5

こちらこそお読み頂きありがとうございます。
そうなんですね。私はここを見つけてから日々励まされています。
生きるのが大変な日々ですががんばりたいです。管理人さんもご自愛ください!

「いいね!」 3

適切な自己主張ができるような人間に私もなりたかったです。
四十路となった今では、もはや諦めモードですね。

「赤毛のアン」村岡花子訳が近所の図書館にあって、気になってました。今度借りてきます。

自己主張するってなかなか勇気がいりますよね。
独身の方は何かと肩身が狭い思いや、大きな負担を感じたり、支援の薄さを感じることもたくさんあるだろうなと思います。
そういう方々に支えられている自分の立場からするととても申し訳ない気持ちになりました。
色々あった中でここまで生きてこられたのはすごいと思います。

両親が会社員、祖父が自営、祖母が主婦の家に生まれる。ひとりっ子。

幼稚園生時代
自分の世界にインしがちだった。
超マイペースで、着替えとか完了するまでに誰よりも時間がかかった。考え事したり、虫や植物を観察したりするのが好きだった。
図鑑にハマっており、幼稚園にテレビ番組のカメラが来た時、テレビ局のお兄さんにブラックホールの話やらカクレクマノミの話やら図鑑を読んで得た知識を長々と聞かせた。
近所のビデオ屋でポケモンのビデオを発見し、興味が湧いたので祖父に買ってもらった。それまでは全くポケモンを知らなかったのに、ビデオを見てますますポケモンに興味を持った。

小学生低学年時代(6歳〜9歳)
いつでもどこでも自分の世界に入ってしまうクセとマイペースのせいで、入学後は学校生活のペースに全然ついていけなかった。
しかし勉強は好きで、授業中は先生の話を聞いて、よく手をあげて発言した。
体育は壊滅的にできなくて他の子の足を引っ張っていた。よく責められた。
元気がありあまってる子にいじられるようになった。「自分は変なんだ」とはちっとも思ってなかったから深くは気にしなかった。
ポケモンのゲームにめちゃくちゃハマった。DSやWiiをめっちゃやってた。
学校の休み時間に遊ぶ友達もいたけど、自分にとって特別に仲良くしたかったのは近所の不登校気味の子だった。その子とはポケモンの話で仲良くなった。初めて学校の中以外でよく遊ぶ友達ができた。

小学校高学年時代(10歳〜12歳)
ゲームの攻略サイトを見始めたのをきっかけに、ネットにハマった。
しかしネット上の意見や偏見を鵜呑みにしてしまい「自分は変で嫌われる人間かも」と思い始めネガティブになってきた。
身長が伸びたのを「デカくなるのは嫌だ目立ちたくない」と悩んだり、「自分は性格も容姿も最悪だ。せめて人に迷惑をかけないように生きたい」と影を薄くして学校生活をおくるようになった。
辛いけど人と比べたら大したことない悩みだと思い込み誰にも相談しなかった。
家でゲームやネットを楽しんだり自分の世界に入ることが心の休養だった。
両親や祖父に心の距離感を感じるようになった(家族の中で自分だけが社会に適応できていないかのように思ったりした)

自分なりに自分の生き方を検討し、服装に気を使ったり,陽キャになろうと1年間ノリノリで生きてみたりもした(後で思えばただ調子乗った痛いヤツだった)

「いいね!」 4

続きです:joy_cat:

中学生時代
1年間陽キャを目指していたが、その中でいろいろと履き違えて友達をからかったりしてしまったことを猛烈に反省、後悔した。
これからはできるだけ人の心を傷つけないように生きようと思った。

しかし、自分の黒歴史である小学生時代を知っている人が中学にもいるし、中学生になったとたん周りの言動がトゲトゲしくなったように感じたのがきっかけか、「人が怖い」と自覚をもって感じるようになった。クラスでは常時1人、プライベートでは家族と一緒じゃないとコンビニにも行けなかった。

自分が登下校一緒にしてる近所の子が、小学生時代できた「特別に好きな友達」のことを悪く言うことがあり、聞いてるだけで辛かった。
(中学の人間関係や独特の雰囲気を自分はできるだけ避けて頭の中から追い出したかった)
自分が中学生活をやり過ごすのに精一杯なこともあり、その子とは疎遠になってしまった:crying_cat_face:

中2で直接悪口言われたりハブられたりするようになって、今までなんとか学校に行ってたけど我慢できなくなった。
どうして学校行きたくないのか親にうまく説明できなかったので休ませてもらえなかった。しばらくは登校するしかなかった。
思い詰めて、命を経とうと決意してしまった。
夏休み中にいろいろ考えたが、不器用なのでうまくいかなかった。
親が流石にヤバいと思って夏休みが明けてもしばらく休ませてくれた。
休んでる間はやっと救われたという気分だった。

「いいね!」 4

学校や会社は、陽キャが得するような仕組みになってますからね。陽キャを目指したという気持ちよくわかりますね。
私も20代の頃に陽キャを目指した時期がありましたが、自分を痛々しく思って、やめました。

「いいね!」 4

続きです:cat:

しばらく休んでいる間は全く外に出ず、ネットをみたりとにかく気を紛らせていた。
ストレス溜めたせいか寝つきがめちゃくちゃ悪くなった。悪夢を見るようになった。

なんだか心細かったので、小学校からの知り合いで、中1の時にかなり仲良くなった子に連絡した。
「クラスに行きたくないんだけど親は学校には行って欲しいみたい。どうしよう:crying_cat_face:」と打ち明けた。
そうしたら、その子が「別室登校のための部屋があるよ。私もよくそこに行ってる。」と教えてくれた。

そして私は中2の残りを「学習ルーム」という場所でのびのび過ごすことができた。

中3の時は今まで勉強を適当にやった分取り戻して落ち着いた校風の学校に行きたい、と受験に向かって突き進んだ(暴走)
ダイエットすると頭が冴えるという話を信じて食事制限を始めた。

無事志望校に受かり…高校生時代

受験期の努力と我慢ももむなしく入った私立の高校は結局つらかった(課題めっちゃ出されたり、大学受験について口うるさく教えられ、変わった先生が多くて疲れる)
大学受験や将来への不安、特に自分を変えなければという焦りからか、食事制限がエスカレートし摂食障害(拒食症)を発症。
心療内科に通い始める。

拒食+抑うつ+焦燥感+時々ハイテンションに振り回される毎日
高校にあるカウンセリング室に通ったけど一時的に気が楽になっただけ。
摂食障害があまり良くならず、主治医のすすめで病院でのカウンセリングを受けることに。
カウンセリングを始めて1年ほど経った頃拒食症が軽減

しかし大学受験をしなければならない、効率よく勉強しなければならない、といった強迫観念と根本にある生きづらさは全く和らいでおらず(当時は自覚してなかったけど)
高3の秋、焦燥感が激しくなり、危険なことをしてしまい救急搬送、手術+入院

無事退院
その後は高校全然行かずにひたすら自宅で療養というかゴロゴロ(自分で勝手に登校日を決めてその日のみ登校)
ギリギリ卒業
大学受験はしない、仕事もまだできないという意志を周囲に示せたので、
心置きなくニートとなる

現在もバリバリのニート生活。
自宅に生息。時々自宅周辺に出没。

長くなってしまいすみません。
やっと完結できました。
このサイトに来たばかりで、自己紹介的な意味も含めてこの場をお借りして人生を振り返ってみました:scream_cat:

「いいね!」 4

あ、ひとつ書き忘れました

高校を卒業した後

今までの生きづらさや辛かったエピソードなどを病院でのカウンセリングで話していくなかで、心理検査(知能検査と発達障害関しての問診票のようなものを記入)をしてみようことに決まり、
検査を受けてみると、自閉症スペクトラムの傾向があることが判明しました。

「いいね!」 2

カウンセリング受けるのは、私も大好きです。しっかり話を聴いてくれるので、モヤモヤが一時的にでも晴れますからね。

’自宅に生息。時々自宅周辺に出没’→珍獣みたいでかわいいです。

「いいね!」 2