療養室(ひとりごと)

そうです、お餅が入ってるやつです。パイの中でもお餅シリーズが大好物で(おそらく年に2回お餅が入ったパイが販売されていると思います。だいたい春と秋のような気がします。)アップルパイは全然食べないのですが、お餅パイはシーズン中、3日に1回くらいは食べていたような気がします。(さすがに食べ過ぎのような気がするので、年も年ですし、次回は週に一回の楽しみにしようかなと思います。)

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だるいン

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ストレスで胃痛など色々。
今回のは長引きそうですーぎゃああー

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悪意なく人を傷つけてしまう友達がいる。
その子の一言にイライラしてもやもやが溢れてしまってとうとう限界が来た:persevere:
こういう感情の処理が私はとても下手なのだ〜。
ついでに自己肯定感がググッと低くなるのでへこみにへこむ。体調もおかしい。
こんな時間だけど母ちゃんに助けを求めて今回もほっとできました。
しばらく回復に努める:mending_heart:

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外に出て現状を変えたいという気持ちと、外に出てやっていけるのか、余計に自信を無くすだけではないかという不安とがせめぎ合っている。

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あなたのメッセージにハートをつけたいです。 :heart:

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今日も一日、定型発達どもの波に揉まれて
よく頑張ったよ俺:100:
あ が め た て ま つ れ :zzz:

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今の自分の苦しみには過去のつらい記憶と将来への不安の両方が関わっているのだと思う。
正直どうすれば過去のつらい記憶を薄れさせることができるのかは分からないけれど、将来への不安を減らすために行動することはできるはず…。
焦らず少しずつ、少しずつできることからやっていこう。

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:heart: :heart: :heart:

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去年は親が施設に入ったり、入院したりして、いろいろ大変だったけども、30年ぶりくらいの一人暮らしにもようやくなれてきたので、ちょっといままでの人生を振り返ったりしながら、今後の人生を考えてみようかと思う。

自分語りはネットではうざがられるけど、療養室ということで、適当に聞き流してもらえればと思う。

幼少期

このころから、神経質というか、潔癖症気味で、ちょっとした汚れが気になったり、痛みが気になったりして、それが気になりすぎて、他のことに手がつけられないみたいなことがあった。

おそらく、発達障害かなんかの気があったんじゃないかと思うけど、昭和50年代では、そういうことに関心のある人は少なく、九州の片田舎ということもあって、そういう診断を受けることもなく、親もそんなに気にもせずに生活していたような気がする。

父親が幼少期に交通事故にあって、片足をなくしていたので、身体障がい者の家庭という特殊事情はあったけれども、そのへんも原因としてはあるようなないような、よくはわからないw

父親は一応公務員ということもあって、生活に不自由した覚えはないけども、やたらケチだったのは、父親の実家が貧乏だったから、ちょくちょく仕送りして、お金に余裕がなかったためだろう。(祖父母は台湾で裕福な生活をしてたけど、戦争に負けたので、戦後は田舎に戻って、自転車屋を営んでいた。そのうち原チャリ(ホンダのカブかしら?)に手をだして羽振りがよくなったのに、長男さんがギャンブル好きで、店のお金をたびたび持ち出したりしたから、店の経営も傾いていって、貧乏生活になったらしい)

一方、母親の実家は祖父がそれなりに田んぼがあるような農家の出身で、志願兵として戦争にいってたけど、これまた戦争に負けたけど、なんとか生き延びて戻ってきて、公務員に潜り込めてある程度出世して、かなり裕福だったようなので、きちんと娘に教育をほどこして、自立(まぁひきこもりのアテクシが言うのもアレですがw)させておけば、公務員に押し付けて、アテクシが生まれることもなかったはずなのに・・・(一応看護師をめざしたみたいですが、頭があまりよろしくなかったのか、看護学校の受験におちたようです)

そんなわけで、障がいもちで、いろいろとコンプレックスを抱えてそうな父親と、頭があまりよろしくはないけど、感情の起伏だけは大きく、ヒステリックな母親の間に生まれたアテクシは、生来の神経症気質もあわせて、ひきこもりになる運命がその時点で決まっていたのかもしれない。

つづく。

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どうせ読まれないなら私も。
地方に、ありがちな本家にうまれた。親父は3男だが上二人が適当に外に脱出して親父が継いだ。いわゆる兼業農家で親父はサラリーマン。祖母は私が幼稚園のころから入退院を繰り返し家計を圧迫した。私が小学校に入ると祖母は完全寝たきりになり今なら介護施設にいただろう。それもあり小学校時代は友達を家にも呼べず、叔父叔母の祖母の押し付け合いを見て人間不信。
週末には母の実家には祖父母と叔父しか居ないので毎週行っていた。そこで叔父が鬱になり自殺、その後祖父も自殺と人間とは何なんだと悩み始める。
社会人にとして仕事をすると30代で管理職になり猛烈に働いた6時間、短いと4時間寝るだけに家に寝に帰るだけの生活。35歳上司の紹介でお見合い、偶然中学の先輩で勢いで結婚。妊娠したという人生で一番嬉しい瞬間を味わう。天にも昇るとはこのことかと実感。
で流産という地獄に落ちた、空虚感を埋めるために仕事をして会社に泊まることも多くなる。会社で倒れ最初は肺炎と騙され手術を受けた後にがんだったと言われ遂に鬱発症。自分は死ぬべきだったという思いが根底にありしま
今生きている、生ける屍。

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