僕の歴史
保育園。僕はよく弟と遊んでいた。弟は厚紙でロボットを作るのが好きだった。その後弟は工学系の大学でロボットを作るようになる。思えばあのころから、弟の人生は始まっていた。僕はハコを作るのが好きだった。ハコを何個も作った。フタがあることが、そのうち悲しくなった。そうしてフタもないハコを作り始めた。良いハコが出来るとそれを撫で回していた。そして決して開けなかった。
小学生。勉強は誰よりも出来なかった。シュクダイというものが僕の心を焼いた。一度もまともにシュクダイをしたことがない。何度も廊下に立たされ、そのうち机も廊下に出された。つまり放り出されて、廊下で授業を受けることになった。一人ぼっちの廊下は、巨大な宇宙船の中にいるようだった。学校中の音が反響してコンピューターの電子音のようだった。僕は宇宙でたったひとりだった。
転校生。先生はいつもより声をひそめて、やや緊張しながら「みんな仲良くしましょう」と言った。僕はイライラしていた。転校生が入ってくる。クラスメイトみんながかけより、親しげに声をかけていた。僕は納得がいかず、転校生を呼び捨てにして威圧した。全員の白い目。馬鹿はほっとけと誰かが言った。それから事あるごとに転校生を呼び捨てにして叫んだ。仲良くするものか、意地だった。しかし後ろめたかった。突然、とんでもない迷惑をかけていると気づき勇気を出して転校生に謝った。いまさら何をとクラスメイトが怒るなか、転校生がもういいんだとクラスメイトをさえぎり、とびきりの笑顔で僕の顔を見てくれた。あのとき世界が、10倍にも100倍にも広くなったんだ。
中学年。おそらく僕が僕であるために、父の死はあったのだ。中学二年のころ。将来に悩んでいた。未来に悩んでいた。兄におこされ、父が亡くなったことを聞いた。ズドンと床が落ちるような感覚があった。ふわふわしながら仏間に向かうと真っ白な父が寝ていた。確かに死んでいる。父の表情から、ここではないどこかへ旅立ったことは分かった。お別れのとき…。僕にはまだお別れの準備は出来ていなかった。
高校生。勉強にまったくやる気がなくなる。面白くなかった。母に反発。遅めの反抗期と言われてイラついていた。母は偉いなと思う。どんなときも諦めずに子供を育ててくれた。僕は4人兄弟の3番目だ。母は父が亡くなってすぐ、写真立てを買ってきた。そこに父の写真を入れて部屋に飾った。いま思うと胸があたたかくなる。でも僕は嫌だった。
2年ほどひきこもる。
20歳。
ハローワークで農業をやってみたら?と勧められる。震えながら電話して2年ほど働いた。農業をやってよかった。この頃につけた体力は落ちない。
27歳ころまでマックで夜勤で働く。いつか自立を夢見ながらコツコツお金を貯める。母と二人暮し。楽しくもあり、しんどくもあった。母はいつまでも僕を子供だと思っていた。その時の僕にはそう感じた。親は親なりに、子供との距離を悩んでいた。
30歳。2年ほど勤めた製造業を辞めて休養に入る。月80時間を超える残業に耐えかねた。28歳のとき、家を出る。不安もあったが希望もあった。希望とは無謀のことである。友達の家で世話になりながら自転車で駆けずり回り、安いアパートを見つける。母に保証人になってもらうのはみじめだったが、心強かった。それから仕事がみつかる。必死だった。貯金も底を尽きていた。初めて給料が振り込まれた日、嬉しかった。なんとも言えない充実感で部屋を眺めた。
父の記憶。28歳のとき、友達と話していた。お父さんが亡くなってどう思った…。しぼるような声で、静かに語りかけられた。初めて、人間の声で人間について聞かれた僕は声も出なかった。友達は詩人だった。知らなかった。父は僕にとって大事な人だった。僕と父との間にはまだ感情が残っていた。人は泣く。大切な人を失い、人は泣く。
ひとしきり泣いて、僕は悲しみを知った。詩人の友達は紐解かれない悲しみにより深く寄り添っていた。
父は兄とうまくいっていなかった。父は兄に期待をかけ、兄は反発した。ほとんど家出同然に兄は出ていった。母は兄を支えた。父は悩んだ。
兄が出ていって2年ほどがたった。たまに兄は帰ってくるようになった。きっと寂しかったのだろう。父はある日、夕食の場で兄に謝った。「俺の育て方が間違っていた」兄も僕も、母も首をかしげながら。笑うような、照れるような。兄は突然憎しみを思い出したように反発する。素直にはなれなかった。父は死ぬ。僕はそう直感した。急性心筋梗塞という病気に前兆はない。僕は運命というものは直感するものと知った。
父は兄が出ていったあとから教育にかんする本を読み漁っていた。自分の育て方は正しかったのか。父は悩んだ。父は、自分はひとりの人生を生きていることに気づいた。子育てもそうなのだ。父はなにかひとつの病を捨てた。そして、次の世代に引き継がないよう先手を打った。兄に謝った。父は、自分で自分の価値観を変えた。
自分で自分の価値観を変える。そんな父の勇気。「あんたはあんたなんやで」と見守ってくれた母。大好きな人を憎んで、いまもどこかでもがいている兄。悲しみを教えてくれた友達。心を教えてくれた友達。僕の履歴書は、そうした人の歴史です。