日本再興戦略

「シリコンバレーによる搾取の終わり」

現在我々の生活はシリコンバレー発のサービスに依存している。アマゾンやグーグルやアップルなど、GAFAと呼ばれる巨大IT企業に搾取されているといっても過言ではない。

アップルストアでアプリを売る場合、30%も手数料を取られる。日本に残った3割の富が彼らに吸い上げられてしまうのだ。

こうした状況に終止符を打ち、ローカルな経済圏をつくるための武器となるのが、ブロックチェーン化であり、トークンエコノミー化なのである。

日本国内でローカルの事情にあったプラットフォームをつくることで、沖縄トークンのようなローカルな仮想通貨が生まれ、そこで起業家が活躍して新たなサービスが生まれてくるかもしれない。

そうなればシリコンバレーから搾取されることもなくなり、我々は豊かな生活を取り戻せるに違いないのだ。

「世界VSカリフォルニア帝国」

全世界で無料のサービスを薄く配り、覇権を握っているGAFAから富を奪い返すにはブロックチェーンやビットコインなどのエコシステムを使って、新しいデジタル世界を構築していくしかない。

カリフォルニア州は、GDPでいうと世界6位の規模にある。イタリア経済より大きい。

こうしたカリフォルニア帝国に対抗するトークンエコノミーの基盤のひとつになるのが、仮想通貨だ。

しかしながら、今、ビットコインの基盤が揺れている。ビットコインの本質は、通貨として使われることにあるのに、その本質から離れて、単なる投機の道具として使われている。

ビットコインは、国に関係なく世界中で取引できるという点で、ドルに代わる基軸通貨になる可能性がある。しかし、投機マネーの流入によって、不安定になっている。これはデジタルエコシステムを支えるひとたちにとって、望ましくない。

日本人は今、ビットコインを世界でもっとも多く持っている国民である。だからこそ日本にとって重要なビットコインをしっかり守っていかないといけない。

「ビットコインの未来を占う3つの問い」

ひとつ目は、「実世界で本当に使うのか」ということ。

通貨というのは、実際の取引に使われないと意味がない。投機の対象になれば、かつてのチューリップバブルのようになってしまう。それではカジノと同じである。まだ十分に使われておらず、実際に使える店舗も限られている。

メガバンクなども独自のコインを発行しているが、これもほかのコインとポイントカードと交換可能になって、実際のモノの購入に使用可能になることが決定的に重要である。

2つ目は「本当の非中央集権とは何か」である。

非中央集権とは個々のプレイヤーが好き放題やるということではない。巨大なプラットフォーマーが利益を独占する世界でもない。そこに参加している人たち全員が利益を享受できるような世界である。

そこで追求すべき指標は、個々のプレイヤーの時価総額ではなく、市場全体の規模である。1社の時価総額を上げて、そこで株式を売り払ってお金持ちが生まれるというゲームではなく、人類全体のためになるゲームをつくる。

インターネットも同じく1社が独占して好き放題にすれば衰退するだろう。それと同じくトークンエコノミーも全体の利益、公共の利益を考えなければならない。

3つ目の問いは「オールドエコノミーとの戦いに勝てるか」である。

ウォール街の投資銀行など既存の金融利権を持った勢力と富の奪い合いがはじまっている。彼らは、簡単なものをわざと難しくすることで一般大衆が金融サービスにアクセスできないようにしてきた。

そして、仮想通貨にも規制を導入して、既得権益を守ろうとしている。投資銀行はビットコインの市場に投機マネーを流入させて、相場を混乱させる。こうした揺さぶりに、新勢力は負けてはいけない。

「人類史上稀有なチャンス」

いつまでもカリフォルニア帝国の天下が続くとは限らない。2024年ぐらいには中国のGDPがアメリカのGDPを超えると予測されている。またインドも急速な勢いで成長している。経済の中心も文化の中心もアジアへと流れている。

デジタルネイチャーの世界では、あらゆるものがパーソナライズされる。日本はソフトウェアが得意ではないので、ローカルな問題を解決するような若いベンチャーを日本中にばらまくことで勝機を見出すしかない。

機械と相性のいい日本は、あらゆる国のモデルケースとして、あらゆるものを自動化した国になれる可能性が十分にある。

そして、自動化を進めると同時に、文化的に優れた国になれる可能性が十分にある。

東京が東洋のパリになれるかを真剣に考えたほうがいい。

日本の人口減少は自動化を進める上でプラスに働く。人口増加社会において仕事を減らそうとすると、口減らしをしないと多分無理である。それは人道的によくないことだ。しかし、日本のように人口が減少する社会であれば、ロボットで自動化を進めるといった新しい仕組みを取り入れやすくなる。

だから人口減少は人類史上稀有なチャンスなのである。みなで行動していけば、きっと日本の未来は明るくなるはず。

アテクシの意見

我々の生活はいまや、グーグルやらアップルやらのシリコンバレーハイテク企業なしでは成り立ちません。しかし、このまま彼らに依存していては、富の大半を奪われるだけに終わってしまいます。

我々が豊かになるためには、我々自身がプラットフォームを作って、そこで商売することで、富を自分たちの間で循環させていかなければならないわけです。

とはいえ、いまさらグーグルみたいな企業が日本に登場するのか?というと、難しそうですね。

日本人がこの先豊かさを維持しながら少子高齢社会を生き延びるためには、自分たちの強みを認識して、シリコンバレー企業と直接競合しない分野で競争力を高めていく必要があると思います。

まぁいわゆるニッチってやつですね。もちろん、いずれはシリコンバレーやら中国企業やらが巨大資本で参入してくるかもしれませんが、そうなったらなったで、次のニッチを求めて移動できるだけの柔軟性を身につけることも必要かと思われます。

もはや、ひとつの場所や産業にとらわれすぎると、いっしょに沈没してしまうような時代です。自分の状態と周りの環境を見比べ、時代にあわせて、ライフスタイルを変化させていくことが必要ではないでしょうか?

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第5章政治(国防・外交・民主主義・リーダー)

「日本だからこそ持てる機械化自衛軍」

これからの日本の国政を考える上で、重要性が高いのは国防である。地方分権が進み日本が多様化していくと、中央政府の求心力が弱くなって、国防が弱くなりかねない。

戦争はよくないが、自衛のためには、強力な自衛軍が必要である。

自衛軍強化の柱になるのは、自動化である。自動化すれば、日本は強い自衛軍をつくれる。ロボットに戦わせるのは人道的ではないと言われるかもしれないが、自衛のためであれば、倫理的にも許容されるだろう。

自衛以外にはロボット自衛軍を使えないという憲法上のしばりをもうけることで、自衛以外の戦争を行わせないようにする。

2017年に6月に、ソフトバンクが米国で最強のロボット会社といわれるボストン・ダイナミクス社を買収したが、これは正解だ。

ソフトバンクが、自衛ロボット兵器をつくり、それを日本政府に売ればよい。人を殺すための機械をつくっているのではなく、人を守るための機械をつくっているのである。

アテクシの意見

機械化自衛軍には大賛成ですね。最終的には機械VS機械みたいになって、人間は戦わずして降伏するみたいな形になっていくのかもしれません。(それならゲームとか将棋とかでもいいのではw)

たしかに、機械VS人だと、一方的に人が虐殺されるイメージがあるので、忌避感が半端ないと思いますが、あくまで侵略に対しての自衛戦争ですから、そこはしかたがない面はあると思います。

なにもしないで、降伏しても、虐殺されたり強制労働させられたりするかもしれないので。

戦争は絶対よくないですが、なにかしらの思惑により他国を侵略しようという国が存在することは現実ですし、平和憲法だけを遵守して国民の財産と生命を犠牲にするわけにはいきません。

「インド・中国・北朝鮮」

国防の最重要テーマが「機械化自衛軍」だとすれば、外国の最需要テーマはインドである。インドと手を組めれば中国をはさみうちにできるし、地理的に日本は有利になる。

今でも、日本とインドの関係は非常に良いし、信頼関係はとても高い。第2章で述べたように、カーストも日本と相性がいい。

文化的にもインドと日本は深い関係がある。サンスクリット語を母国語の3割くらい使っているのは、日本人くらいである。

たとえば、世界という単語の「世」という言葉は、1世、2世、3世であって、サンスクリット語では現在、過去、未来の世という意味である。「界」は上下左右、東西南北という意味である。つまり世界とは、時間と空間という意味での世界なのである。いわゆる、グローバルという意味とはまったく関係がない。

外交面では、中国と対立しないのが重要なことだが、15年ぐらいの時間軸で見ると、中国はさまざまな面で大変なことになる。

一人っ子政策のつけで急速な少子高齢化が進む。天安門事件3のような出来事が起きたら、中国は大混乱するだろう。

朝鮮半島も北朝鮮の暴発により、戦争がおこるかもしれない。

こうした喫緊のリスクがあるからこそ、早く機械化自衛軍を整える必要があるのだ。

アテクシの意見

インドはいずれ中国を追い抜いて、米国さえも凌駕する大国になるみたいな話がありますけど、こんな記事を読んでいると、どうもあやしく思えてくるんですよね。

https://news.livedoor.com/article/detail/19261134/

人口が多いほうがたしかに経済的にも軍事的にも有利なのはわかりますけど、テクノロジーが発達していって、生産性が高くなれば、人口が少ないところでも、それなりのプレゼンスを発揮できるんじゃないかとも思うんですよね。

いくら人口が多くても、失業者が多ければ、国力にはマイナスですし、すべての人間がグーグルみたいなハイテク企業に就職できたり、起業できたりするわけがないので、むしろこれから人は余っていくようなきがします。

先進国が人手不足なのは、移民を制限しているからで、自由に移民を受け入れれば、人手不足はある程度解消されるでしょう。もちろん、高度な技術を持った人が大量に来るわけがないので、一定の技術を必要とする産業は人手不足のままかもしれませんが、それは、自国民を再教育して、仕事につかせればいいと思います。

そういうと、移民を3k労働の奴隷として使うようなイメージを持たれてしまいますが、適切な賃金を支払えば問題ないと思います。

日本の技能実習生が問題になっているのは、安い賃金でろくに仕事を教えずに、体の良い労働力としてこきつかっているからだと思うのです。

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「揺らぐ民主主義」

今の中央政府が決める政策は、あくまで日本全体の最大公約数的なものになりがちである。東京にとっては正しくても、大阪や四国にとっては正しくないということがある。

地方が地方のことを決定できれば、大阪や四国がそれぞれ最適な選択肢を選べるが、それができないシステムになっている。

この状況を根本的に変えるためには、民主主義自体をアップデートするしかない。

日本では民主主義=多数決だと思っている人も多いが、民主主義とは、民主主義と民主制度の2つに分かれている。

本来民主主義の制度は多様でよい。多数決でもいいし、全員一致で何か物事を決めるのもいい。多数決なら90%の人が賛成すればokだが、10%の人が反対だったらokを出さないという民主主義もありえる。

世界中でポピュリズムという言葉がよく出るようになっているが、民主主義の限界が近いのかもしれない。

「民主主義をアップデート」

東京の常識が名古屋の常識ではないように、お互い違ってよい。お互いを批判する必要はない。地方にはそれぞれの幸福の形がある。東京からマスメディアが発信する価値観を無理やり根付かせようとするのはよくない。

「平等」という西洋的な概念から脱して、もっと日本的な自然な形、フラットな形へとシフトしていったほうがいい。

平等とフラットは意味が違う。平等というのは権利を誰かに移譲した後、再分配されるときの考え方である。つまり一神教の考え方にすごく近い。もしくは統治者がいる国の考え方に近い。北欧が典型である。

一方、日本の特色として、権利を与えてくれる誰かがいたことがほとんどない。平等が与えられるという感覚がなじまない。日本人はもっとフラットで自然状態に近いというか、波がザブーンと来るように動いている。

だから、意思決定にAIなどのテクノロジーが入ることにも違和感がない。中心のないビットコインはまさに日本人の感覚に合う。

実際に、これから日本がフラットな地方自治へと回帰していくには、地方の首長が一番強い権力を持っている状態に持っていかないといけない。そのためには、地域政党を率いる人が、内閣総理大臣よりも偉く見えるようになってもよい。

たとえば、東京都の都知事でありながら、中央政府の権力も握れれば、国の規制もフレキシブルに変えられるので、かなりダイナミックに政策を変えられる可能性がある。

地方を中心にすえて、国を運営するというプロセスに移行する考えもある。東京が国の上に立つような形もありなのではないか。

アテクシの意見

資本主義と同じく、民主主義もそろそろ耐用年数がすぎたのかもしれませんね。20世紀の大量生産大量消費時代には、この2つのシステムは社会にうまく適合していたのですが、多様化と格差の時代にはみんなで同じようなライフスタイルを決定するという方式が合わなくなったのかもしれません。

でもなかなか新しい仕組みを考えるのって大変ですよね。仮想通貨が最近また流行ってますけど、トークンエコノミーによって、政治も経済も変えていこうという動きはあるみたいですね。最近、にわか信者になってるブログがこちらです。

そんなに難しくないので、読んでみてくださいな。

「リーダー2.0とは何か」

これまでのリーダーの理想像は、一人で何でもできて、マッチョで、強いひとだった。中央集権的なリーダーである。これをリーダー1.0と名付ける。

しかし、これからのリーダーは、一個の独立した完璧な個人である必要はない。そもそも独立した個人という考え方自体が、近代が生んだ幻想である。

リーダー2.0時代のリーダーは、すべて自分でできなくてもまったく構わない。なにかひとつとがっている能力があればよく、足りない能力は参謀など他の人に補ってもらえばいい。リーダー2.0時代のリーダーのひとつ目の条件は「弱さ」である。共感性の高さが求められる。

2つ目の条件は「意思決定の象徴と実務権限の象徴は別でいい」ということである。言い換えると、個々人は自分の得意分野に特化すればよくて、すべての実務権限を統括している人がいないということである。

象徴としての天皇と、執行者としての中臣鎌足に権限が分かれているのに似ている。

3つ目の条件は、「後継者ではなく後発を育てる」ということである。自分の後を継ぐ人ではなく、新しいジャンルや会社を新しくつくっていくような人材を育てられる人である。

たとえば、米国のペイパルという会社からは、ペイパルマフィアと呼ばれるくらい、多くの有名企業家たちが生まれた。

いうなれば、リーダー1.0の時代は、歌謡曲のボーカルの時代である。カリスマ的なボーカルが活躍する時代である。政治家でいうと、トランプや田中角栄である。

それに対して、リーダー2.0はバンドである。リーダー2.0に大切なのは愛されることである。カリスマというと、憧れみたいな感じなので近寄りがたい。愛されるのはもっと貴重で、**「この人が地球上からいなくなったら、寂しい」**という感情である。

ある分野にとても才能があるけれども、全然だめなところもあるような人のほうが、周囲が手を差し伸べやすいし、バンドとしてうまくいきやすい。

日本の社会は、基本的にリーダー2.0のほうが向いている。強いリーダーを育てるのには向いていない。自らの弱さによって、いろんな人をボトムアップでまとめ上げていくほうが日本にあっている。

とがった才能のあるリーダー2.0な人がリーダーになろうとすると、排除する傾向がああるが、最近はそうした風潮も弱まってきている。

「次の10年に向けて」

将来を見据えると、リーダー2.0の時代も終わり、さらにはリーダー3.0の時代も訪れるかもしれない。

リーダー3.0時代にはAIか、それに類する機能かコードがリーダーをやっている可能性もある。さながら、ビットコインのように、非中央集権で、頭、ヘッドがない組織になる。

日本のリーダーは、西洋的なリーダー1.0のモデルに縛られず、どうリーダー2.0やリーダー3.0に進化できるのか。そこが日本再興のカギを握るはずである。

アテクシの意見

たしかに、強いリーダーにはあこがれは感じますけど、親しみにくいところはありますね。

弱いリーダーというと、三国志の劉備玄徳なんかが日本人には馴染み深そうですね。部下の意見をよく聞いて、なんか助けてあげなきゃ!っていう雰囲気を醸し出しているリーダーが日本人にはウケがいいのかもしれませんね。

第5章をまとめると、これからの日本は、いままでのやり方では厳しい国際社会を生き延びるのが難しいのではないのか?という感じがしますね。

軍事にしろ、外交にしろ、相手がいることですから、自分の国だけで理想をかかげていても、相手がそれに同意してくれないことにはどうにもなりませんからね。

いかに相手に自分の想いを伝えて、相手の想いを汲み取るのか?これは、人と人とのコミュニケーションにもいえることですね。国となるとスケールが大きいわけですが、やってることは、個人間のやりとりとあまり変わらないと想います。

個人的には、戦争にはいきたくないし、痛いのはイヤなので、自動化自衛軍の設立を急いでほしいものですw

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第6章 教育

「新しい日本で必要な2つの能力」

これまでの常識を捨てて、新しい時代を生きるための能力を育む必要がある。新しい時代に磨くべき能力とはなにか?

それは、「ポートフォリオ・マネジメント」と「金融的投資能力」である。

第2章で述べたように、これからほぼすべての日本人は百姓になる。百姓とは100の生業を持つ人という意味であるが、ひとつの職業訓練を受けて永遠にその職業についていれば大丈夫という考え方はなくなるということ。

これからの時代は、あらゆる人が、職業のポートフォリオを組みながら、暮らしていくことになる。

今の教育スタイルは、ポートフォリオ・マネジメントの考え方がないので、どうしても専門家を育てようとする。そうすると、優秀な人はみんな医者か弁護士か金融屋になってしまう。

金融的投資能力とは、「何に張るべきか」を予測する能力のことである。競争相手との戦いには、時代感覚をつかむ能力が必須となる。

一般的に、日本人は時代を読むのが苦手であるが、それは専門性に分かれたからではないか。

ひとつの専門性でトップレベルに上り詰めれば、他の分野のトップ人材にも会えるようになる。

ニッチな分野でも構わないので、とにかくまずは専門性を掘るべき。せめてひとつは、トップの人と話すに足る何かを探さなくてはならない。

「幼稚園にはいかなくていい」

ポートフォリオ・マネジメントと金融的投資能力を磨くためにはも、小さいころからの教育を変える必要がある。

小学校に入るまでの幼児期は、5感をフルに使ったほうがいい。におい、味覚、音、目といった感覚や身体能力は、小学校に入るまでの間にほとんど決まってしまう。

とくに絶対音感が身につくのは3歳ぐらいまで。子供がやりたがっていることは、何でもやらせてあげたほうがいい。

幼稚園では、集団行動に特化して協調性を伸ばそうとする。それよりも、子供が好きに自分の能力を伸ばせるように、子供にカスタマイズした教育をしたほうがいい。

実際、ギリシャ時代から、王様の子供は家庭教師に育てられている。

現代のテクノロジーを使えば、安価に家庭教師を呼べる。

とにかく集団で教えるという概念ではなく、個別もしくは少人数で教えるという概念を大切にするべき。

「小学校から大学まで」

小学校で大切なのは、好きなものや好きな活動を見つけること。

日本で問題なのは高校である。義務教育の小中は案外よくできているのだが、高校がうまくできていない。今の高校は上級中学校みたいになっている。小学校と中学校は多くの面で違うのに、中学校と高校は次の受験に備えるだけで変わらない。

ポートフォリオと投資能力を教えるのであれば、高校が一番である。中学ではまだイメージがつきにくいが、高校なら適齢期である。

OJTによって少しでも社会のことを知ったほうがいいと思う。

いまのように社会のことを知らない状態で、大学受験を迎えて、専攻を選ぶというのはリスクが大きすぎる。

もし医学部に入ったら40年間も医者をやる可能性があるのに、ただ偏差値が高くて、収入が多いために、考えなく医学部をえらんでしまう人もいる。

高校生で将来の進路を選ぶのは早すぎる。ポートフォリオ教育をして転職可能性を意識させるべきである。

受験があるので、高校が上級中学校になってしまう。大学受験まで3年しかないので、やれることが少ない。

センター試験があることによって、高校の教育スタイルが限定されてしまう。今のようなセンター試験ではバランス型の人が多くなり、何かの分野で突出した人が東大などに受かりにくくなる。

大学に入ったあとに学生にやらせるのは研究が一番。なぜかというと、研究をすると、その人しか知らないことを知ることができるから。

研究には必ず新規性が求められるので、だれかがすでにやったことは研究にはならない。

要は研究することで、その分野におけるトップオブトップになれる。

この能力は、社会人になってからも明らかに生きる。研究を通して、調査をしたり、手を動かして研究したり、誰かに頼みごとをしたりといったことを学ぶ。

研究とは作法がある。「Aさんがここまでやった。Bさんはここまでやった。2人の研究を並べると穴があいているところがあるので、ここの知識をうめると価値がある。」というスタンスをたてて、実験を繰り返して解明していくということ。

こうした研究の構図を脳内につくるには、わりと若いうちでないと難しい。

MBAのような資格よりも、アートを学ぶことで、ものの複雑性を理解できるようになる。といっても美術館にいくことではなく、アートの基本作法を学ぶということ。どういう作法でアートができているかとか、アートの価値はどこにあるかなど。

日本人は誰か尊敬する人に師事するというスタイルが一番あっているので、サロン型教育がむいている。

英語はできたほうがいい。しかし、日常生活に関しては、自動翻訳技術が飛躍的に向上しているので、ロジカルに話せるだけで十分である。

ちゃんとした日本語で書けるひとは、英語もちゃんと書ける。

複数の意味に取れる単語はなるべく使わない。文章を長くしすぎない。副詞をやたら並列させないで、正しい位置に入れる。無意味な受動態や逆説接続、指示後の連続などをやめる。

let make getなどの不規則同士は使わない。

100文字くらいの短文で、うまくまとめる訓練が必要。ツイッターは140字以内なので、よい訓練になる。

・アテクシの意見

30年ぐらい若返ることができたら、落合式教育を受けてみたいですね。

時代の変化というか、情報の流れが速すぎて、新しい知識を仕事に活かそうと思っても、すぐに陳腐化してしまう気がして、勉強してもしても追いつかない感じがしますね。

頭のいい人は、新技術の要点をうまく抽出して、過去の経験にフィットさせて、時代に適応していると思うのですが、アテクシのような凡人は知識を丸暗記するところまではなんとかなっても、それを応用することができないので、いつまでたっても、基礎のところで足踏みしてしまいます。

つまりは、情報化時代を生き抜く素質みたいなのはもちろん必要かもしれませんが、幼い頃からの教育によっても、かなり差がついてくるんじゃないでしょうか?

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これはアテクシが自己啓発本を読んだときに、中身を理解するために、要約というか、コピペというか、内容を端的にまとめて、感想を最後に付け加えるスタイルで書いていたやつで、最後に投稿したのが、20年12月だから、およそ4年ちょっと、経っていることになる。(という文章を書いてからすでに1年が経過している。怖いwつまり5年が経過しているのである)

以下、あと1章くらいで終わる予定。未完のままにしておくのが気持ち悪いので、しっかり完結させたいと思います。(50歳になる前に区切りよく終わらせたいw)

第7章
「ワークアズライフ」の時代
近代が「タイムマネジメント」の時代だったとしたら、現代は「ストレスマネジメント」の時代になる。

タイムマネジメントの時代は、ワークとライフを対比でとらえて、それぞれの時間を区切って考えていた。

しかし、これからは、ワークとライフが無差別になり、すべての時間がワークかつライフとなる。そうした時代において重要なことは、「ストレスフルな仕事」と「ストレスフルではない仕事」をどうバランスするかということになる。

会社での長時間労働がストレスを生む原因だとして、残業禁止などの働き方改革が行われているが、そもそもの問題が仕事の内容からくるストレスにあるのだとしたら、いくら時間を短くしても本質的な問題解決にはつながらない。

逆にストレスを感じていない仕事であれば、無限に残業しても問題はないということになる。実際に筆者は3時間睡眠で働き続けているが、ストレスのある仕事を外のメンバーに分担してもらっているので、支障が生じていない。

筆者によるストレスマネジメントでおすすめなのは、筋トレである。病的なメンタルの人は筋トレをやる気力もないわけだから、自分がどの程度ストレスを感じているのかの目安になるし、運動することは心身の健康によいわけだからおすすめのストレス解消方法である。

「恐竜型企業と哺乳類型企業」

今までの会社の働き方は、新卒でどこかの会社に就職した後、その会社のラインに乗っていくというのが慣例であった。

キャリアを積み上げて、出世していくルートなので、その業界から別の業界に移ることは難しいし、同じ業界でも転職すれば、またいちから出世レースを戦う必要があるので、なかなか収入が増えず、転職するメリットが薄かった。

こうした会社のシステムは「採用した人材を流出させない」という点では正解だったが、イノベーションを起こすことには向いていない。その結果、日本の多くの大企業はでかくてのろい恐竜みたいになってしまった。

多様な人材を臨機応変に活用して、プロジェクトごとに人材ポートフォリオを生成すべきなのだが、これには哺乳類型のフットワークの軽いベンチャー企業と手を組んで行う必要がある。

そのためには、大学の投資が必要である。専門性の高い若者が集まっている研究室から生まれたベンチャーに大企業は投資して、新しいプロジェクトをすすめていくのが効率的であろう。

兼業解禁と解雇緩和をセットにせよ
こうした時代になってくると、個人のキャリアプランとしても、ベンチャーにはいることが賢い選択となる。専門性のベンチャーに入って、キャリアを磨けば、市場価値が上がるため。

大企業からベンチャー、ベンチャーから大企業へといった転職が普通になっていく。

その流れを加速させるためには、兼業の解禁が必要。たとえば、ベンチャーの仕事を大企業の社員が手伝うことで、ベンチャーも助かるし、大企業もリスクを限定して、ベンチャーの仕事に挑戦することができる。

兼業が可能になることで、人材の流動性が高まり、適材適所の配置が自動的に行われ、日本企業の生産性も上がる。

解雇規制が緩和されれば、さらに流動性は高まる。兼業解禁はだめ社員が大企業にしがみつけないように解雇規制緩和とセットで行う必要がある。

これからの時代は囲い込みという概念は無駄である。

士農工商を復活させよ

これまでは銀行が貯金や融資の仕組みを通じて信用創造を行ってきたが、今後はブロックチェーンを生かして、個人と企業がつながることによって、信用創造が可能となる。

たとえば、落合陽一とホリエモンがコラボして新しい価値を持った事業が生まれるような仕組みができる。

そのためにも、社員という概念をゆるくして、みんながアルバイトやフリーランスになっていく社会を目指すべき。

働かないおじさんに副業を解禁するかわりに解雇もしやすくすることで、適材適所に人材が当てはめられるようになる。

トヨタのいいところは、士農工商的な給与制度になっていて、工の職人的な人が、商のオフィスワーカーより高い給料になることがある。

会社の生産性を下げているのは、ホワイトカラーのおじさんたちで、彼らは暇なのか、社内政治で抵抗勢力となって、自分たちの既得権益を守ろうとするばかりになっている。

ホワイトカラーおじさんの生かし方

ホワイトカラーおじさんはこれから、複数の企業で事務処理的な仕事をやってもらうことで、その能力をベンチャー企業などのコアビジネス以外の業務が弱いところを補う存在として活躍できる。

ベンチャーは同じタイプの人間ばかりを採用しがちだが、攻守のバランスをうまく調整しないと会社が大きくなるにつれて問題がでてくる。

フランスの男女平等を真似するな

ホワイトカラーおじさんが社外に放出されると、会社内での男女差はかなりなくなるはず。

単純な男女平等ではなく、互いの差を認めてフェアに扱うことが必要。

男女平等を完全に実現しても、社会はうまくまわらない。

たとえば、子育ては、母乳などの身体的なつながりが子供と強いので、女性に任せたほうが合理的な面がある。

逆に女性向けの消費活動分野のマーケティングの責任者がおじさんばかりなのはいただけない。

重要なのは男女比率を部署や業務によって、柔軟に変えられるような仕組みである。

男女のフェアな扱いこそが日本経済再興戦略の2つめの柱となる。

年功序列との決別

「ホワイトカラーおじさんの社外放出」「男女のフェアな扱い」に続く、再興戦略3つ目の柱が、「年功序列との決別」である。

高度経済成長時代においては、年功序列はうまく機能したが、いまはうまくいっていない。

日本が年功序列になったのは、本質的には、全員が同じ時系列で近代教育を受けるようになったことに起因している。

今の年功序列社会を解体するには、全員が一挙に学校教育を受ける今のシステムとは異なる問題設定とコミュニティデザインが求められる。

これから大企業のような画一的なコミュニティが崩れていく中で、大事になってくるのはコミュニティ選び。

会社にしろどんなコミュニティにしろ、10人から50人であれば全員のことを認識できるが、100人を超えると誰が誰だがわからなくなる。

自分が直接貢献できるような、小さめのコミュニティのレベルでものを考えられるようになることが大切。

日本人はもともと中道的でバランスととることがうまかったが、最近の日本人はバランスをとることが下手になって、単純に西洋のマネをして、日本にあわない仕組みのまま取り入れてしまい、うまくいっていない。

日本の土台にある文化や社会制度を理解した上で、バランスのいいイノベーションのあり方を考えることが大切である。

「近代的人間」からの卒業

私達は今、「機械VS人間」という対比と時間単位で定義された近代的生産社会の次のフェーズに進もうとしていて、今後は「近代的人間らしさ」と「デジタルヒューマンらしさ」の対比がはっきりしていく。

これを簡単に言うと(個人的には全然簡単になってないと思うがw)主体からなる「生成的な物語」であるか、「逐次的即時的な物語」であるかという違いである。

神山健治さんの「攻殻機動隊」を見るとよくわかるが、「自分とは何なのか」「どういう主体なのか」という深堀り(自分探しのようなものか?)から生まれてくるアクションを繰り返すのが、「近代的人間らしさ」である。

すでにゴールがあって、それに向かって戦うというイメージである。個性や個人という言葉は標準的人間を規定した後に存在する言葉である。

それに対して、同じ神山さんが監督する「ひるね姫」では、とりあえず目の前のものをやってみたら、結果が出て、やってみたらまた結果が出て、というのを積み重ねて、最終的に話が終わるというストーリーである。

ここでは、自らの深堀りによる生成的物語は存在せず、ストレスマネジメントのうまい、性格のいい主人公が逐次的にやれることを積み重ねていった結果うまくいくというストーリーになっている。

今の時代において、前者の生成的な物語より後者の物語のほうがリアリティがある。(ポイントは性格がよいというところにありそう。生成的な物語(昭和時代の物質を求める向上思考が他者を押しのけてでも自分の利益を求める性格の悪さを高める方向にいくことであろうか?

要は、我々は、わらしべ長者のことをなめていたのです。逐次的にやっていくことが重要であり、機会をうかがって動き出さないことには、ただの機会損失になってしまっているということ。(ここはアテクシにとって耳の痛いところではある。頭の中では試行錯誤を行い、失敗を繰り返したほうが正解にたどり着けると薄々わかっていながらも、失敗とその結果の損失を恐れて、結局は機会損失を招いている。とくにプログラミングなどの勉強をしてもAIの登場によって、すぐに技術が陳腐化してしまうので、走りながら学ぶほうが効率が良いという時代になりつつある。AIに質問すれば恥をかくことなく、むしろ自己肯定感がぐんぐんあがっていくので、スキルもアップしやすい。)

「自分探し」より「自分ができること」から始める

今は技術革新やインターネット上での最先端技術の創発速度が、人間の学習スピードより速い時代である。だから、今できることをやり続けないと、よほど勘のいい人でない限り、「将来的にこうなるから、こうだ」みたいな予測をすることに意味がない。

我々が持っている人間性のうちで、デジタルヒューマンに必要なものは、「今、即時的に必要なものをちゃんとリスクを取ってやれるかどうか」である。

近代的な人間性は、「自分らしいものを考え混んで見つけて、それを軸に、自分らしくやっていこう」という考え方であり、デジタルヒューマンは、「今やるべきことをやらないとだめ」という考え方である。やったことによって、自分らしさが逆に規定されていく。

モチベーション格差の時代

「べき論」で語るべきところと、ないところをきちんと区別する。「やりたいこと」と「するべきこと」の2つを分ける。その中間に「自分がやれること」がある。

いろんなリスクを考えて、なかなかチャレンジできないと、機械と同質化する一方になってしまう。そういう人たちはBIに呑み込まれるしかなくなる。(ここはちょっと異論があって、いずれ世界はAIの指示に従うことで、それがむしろ快適な世界になっていうと考えている。これは著者のような才能がある人にとっては退屈極まりないディストピアなんだろうけど、一般人にとっては福音であり、ユートピアの到来を意味するのではないか?)

リスクを取るほどモチベーションが上がるというのは、機械にはない人間のよさである。

機械は正規分布の中にしか吸収されないので、リスクを取るほどモチベーションが上がる状態というのは、統計の中では出てこない。この「リスクを取る」ということが機械はすごく苦手ですから、人間はそこを強くしないといけない。

経済格差よりも、家に本があるとかないとか、親がよく本を読んでいるみたいな、文化格差がこれから大きなキーワードになっていく。(経済格差はこれからも開く一方だろうけども、AIによる生産性の向上の結果として、BIによってそれなりの生活水準が満たされれば、生命を維持できないほどの貧困は撲滅されるだろう。しかし、そういう社会では仕事をすることが現在とは逆に、特権や趣味のようなものになって、働けることが一種のステータスとなる時代になるであろうことは、最近のイーロン・マスクの発言からも明らかである。そうした中で、AIにはできない人間にしかとれないリスクをとっていけるだけの度胸というか、探究心みたいなものを育む文化資本というものが教育においては必要不可欠になっていくのであろう。)

最後にアテクシの感想を書いておきます。

5年越しにようやくこのトピックを書き終えたことに対して、自分で自分をほめたいと思います。(マラソンで銀メダル取った女性の言葉だったような?)

今の時代だとこんな感じでながながと引用なのか要約なのかよくわからない文章を書くよりも、ユーチューブあたりの要約チャンネル動画をAIでさらに要約したものを貼り付けて、そこにアテクシの感想を書いていくというスタイルで十分だし、そっちのほうが逆に読みやすい気がしております。

その感想もきちんとAIで清書したものを最初からのせたほうがアテクシの意図が伝わりやすいのではないかと思ったりしております。個性みたいなものはあるかもしれませんがそれもAIで調整したほうが読まれやすい文体になるんじゃないかと思ったりしているアテクシは、この著者とは真反対の人間のような気がしてきました。

というわけで、最後にまとめの感想なんですけど、著者みたいな才人とアテクシのような凡人では世界の見え方がそもそも違いますし、世界を変えるだけの能力があるものと、自分を変える能力も気もあまりないものでは、生存戦略も違ってきそうな気がするので、ぶっちゃけいうと、意識が高すぎてついていくのが(歳でもあるので)無理っぽいという感じですねw

そんなわけで、アテクシは世界を変えるみたいな大きいことからは距離を起きつつも、自分の身の回り半径10メートルぐらいのせせこましい世界の中で自分が生きやすいフィールドを生成できるように試行錯誤していこうかなと思っておりますし、それが、アテクシなりのAIにはできないリスクをとるという行動だと考えるしだいです。