ひきこもりとは一体、何なのか?

ひきこもりとは一体、何なのか?これは私の問題なのか?家族の問題なのか?社会の問題なのか?各自が自分の心と徹底して向き合い、得た発見をこのスレッドで表現し、議論しましょう。

※旧超ひきこもり論カテゴリにあったトピックです<カテゴリ不要のためトピック移動しました>

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超ひも理論かと思いました。

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どゆこと?(笑)ひきこもりは物理だったのか。レベルを上げて物理で殴る!

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超ひきこもり理論が、超ひも理論に見えたのです

ひきこもりの中にひもがあったのです

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あーなるほど。空目だったのか(笑)超ひきこもり論とは、ひきこもりを考えることで、ひきこもりを超える理論です!

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たとえば、実存哲学者のキルケゴールが有名なひきこもりですよね。

社会からの疎外者が創作活動をして後々に偉人になったりしますよね。

例・ニーチェ、ゴッホ、ルソー、ヘンリー・ダーガーなどなど枚挙にいとまがない。

まあぶっちゃけ、競争社会に付いていけない人間なんじゃないかなと。

そう言えば、海外でも、ひきこもり、という言葉は無くても、それに該当する人が増えているんじゃないかな。

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キルケゴールひきこもりさんだったんだ、急に読んでみたくなりました(笑)

創作する人は基本的に孤独な人ですよね。そもそも自分としっかり向き合う時間持たなきゃものなんて。作れませんし。

社会がおかしくなればなるほど、違和感感じた人はドロップアウトしますからね。

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グランド・セプト・オート5の主人公の一人中年男性の息子が20歳のネットゲーム廃人のひきこもりなんですよね。GTAは社会問題とか取り組んでいるっぽいから、世界的にひきこもりは存在するんじゃないかな。

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世界一売れてるゲームでしたっけ。評判良くて、ぼくも以前のシリーズは手、を出してみたけど、あわなかったです。ひきこもりや、社会責任を果たそうとしてるんですねー、またちょっとやってみたくなりました:slight_smile:

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十代の頃からそうだったけれども、誰も自分の悩みや苦しみを聞いてくれる人っていなかったよなあと。

多分、十代の頃、二十代の前半に誰も自分の悩みを聞いてくれる相手がいなかったからこそ、
今、すぐに苦しくなったら、他人に甘えたり、頼ったりしているんだろうなあと。

ちゃんとした自我の形成が出来なかったのだと思う。

気付けば、ドンドン、普通の人、一般的な人達と、人生体験や人生観みたいなものが違っていって、自分が、ドンドン、疎外者になっていったなあと。

多分、今の社会って、十数年くらい前と違って、
個性を許して、多様性を認めようっていう社会ではなくて、
みなと同じようになれだとか、上の絶対的な権力には逆らうなだとか、そういったご時世で、ひきこもり専門の精神分析医である斎藤環氏が解決策を出せるような社会ではなくなってきているよなあと。

おそらく、私はどうしようもない程に「アノーマリー(例外者)」であって、
多分、私はカウンセラーや精神分析医でさえ、症状を良くする事が出来ないんじゃないかと思う。

十代の頃、学校でイジメを受けていて友人が一人もいなかった事だとか、
バイト一つ出来ずに働けずに悩んでいた事だとか、
心の病気を患って、精神科に通った事だとか、
そういった事を、何も書けずにいて、地方社会で心を閉ざしていたなあと。

二十代前半の頃とか、ひきこもり関連の事を親に相談したら、
親は率先して動いてくれたんだけれども、あんまり役に立たなかったなあと。
二十代半ばになって、自分でそれらの施設なりなんなりは自力で探しに行ったんだっけ。
何かがきっかけで、立ち直れると思ったのだけれども、
結局、立ち直れなかったよなあと。
で、社会一般の常識が分からなかったわけで、
そもそも、メンヘラやひきこもりや政治活動者やパンクや、ゴスロリや、
哲学、文学、芸術をやっている人達が、
社会的には、少数派なのだと気付くのが、かなり遅すぎたわけです。

何故か万能感があって、絶対に売れる商業作家になれると思い込んでいたのも、
根本的に間違いだったなあと。
後、自分は25歳までに死ぬだろうと思い込んでいた。
それで今度は30歳までに死ぬだろうと、30歳過ぎても自堕落に生きているわけだし。

私にとって、小説の執筆及び、グロテスク&メランコリィ・シリーズというものは、
映画「パンズ・ラビリンス」とかみたいに、
苦しくて、病んだ現実から逃げる為に書き続けているものでした。

このシリーズ自体が、私の自伝的なものを随所にかき集めていて、
登場人物一人一人に自身の自我や苦しみを詰め込んでいったわけです。

それにしても、
詩にしろ、音楽活動にしろ、小説にしろ、
もっと「普通の人間の感性」というものを汲み取っていれば、売れただろうし。
自分の感性と普通の人間の感性が、とてもズレにズレていて、それに気付くのが遅すぎたなあと。
アスペルガーの欠点が出まくりですね。

たとえば、漫画のお色気シーンが気持ち悪いだとか。
普通の学生みたいなノリの感性で、笑ったりする事が出来ないだとか。
アングラな世界程、惹かれた、だとか。
ダークな世界観程、惹かれた、だとか。
最近では、好きな漫画やアニメとパチンコがコラボしているのを見かける度に、
気持ち悪くて仕方が無いだとか。

そもそも、ヤケクソで、ドンドン、疎外者になれって思って、
政治活動系の人達と関わろうと思ったのも、よくなかったなあ、と。

一般的な感性ってのが、全然、分からなくなって、結局、自分が苦しんだだけじゃんと。

先日「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」という漫画をツタヤで借りて読んでいたのですが。
この漫画の本質は、レズ風俗が重要なんじゃなくて、
著者の永田カビ氏が、ずっと社会的孤立を受けていて、
親の期待に添いたくても、添えなくて、ずっと心が病んでいって生き辛いっていう内容だったなあと。

この漫画のテーマは「他者から承認される事」でしょうね。

それにしても、地元で、ひきこもりやメンヘラ関連のフリースペースや自助会などにいっても、
周りに溶け込めませんでした。
頑張って、こちらから話しかけてもいたのですが。
上手く仲良くなる事が出来ませんでした。
何かそういう場所にいっても、私は友人って出来ないんですよね。

代わりに、全然、違うクラスタの友人と仲良くなってきたのだと思います。
みんな、変わり物ばかりで、社会から疎外されている感じがしました。

私は誰よりも、足が遅くて、遠回りしたり、道に迷ったりを繰り返しながら、
おそらくは、無いかもしれないゴール地点を目指してきたのでしょうね。

そもそも、地図もマトモに読めなくて、迂回したり、迷ったり、
人に道を聞いたり、最終的にタクシーを使ったりしながら、
目的地に辿り着くとかって事をしてしまうわけですし。

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文化依存症候群で検索

はい、QED

もっともこの手の話題は天皇制と同様にタブーだとお考え下さい。
引きこもりの是非なんて問うたら社会からのバッシングの嵐だから

まあなに言っても無駄だと思うんで、
開き直っておくわ、大多数の皆さんのようにww
世の中にはクズが多いが、わりとましな部類とだけ伝えておく

大体、自分の恵まれている部分くらい
認められるが、一般の人はそれもできないらしい
そんなのが世間様を名乗ってる
はーあほらし
明日も明後日も死ぬまで引きこもりますんで

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文化依存症候群なんてあるんですね。初めて知りました。
ひきこもり自体が一種の依存症という気もします。

このトピックでは、ひきこもりの是非を問うわけじゃなく、だれかの定義を当てはめるのでもなく、自分たちなりに、自分の心理、家族関係、社会とのつながりなどを、「ひきこもり」をテーマにして考えていけたらなと思って立てたトピックでした。解りづらく、申し訳ないです。

ただ、過剰で無意味なひきこもりバッシングをするユーザーがいたら、当サイトの利用を控えてもらうので、もう少し自由に発言してもらえたら嬉しいです。

だいぶ前のトピックですが・・・
今の僕の引きこもりの定義は、ただの「現象」だと思います。

社会現象でもあると思うし、個人的に理不尽や不運、先天的から発する「現象」

分かることがあるとすれば、それは苦しいもので、また社会で生きていけないから困る。
といったものだと思います。

ゴールは家 趣味 仕事を安定的に維持できるところまでいけば、生きてはいけます。
それらの維持を何らかの原因で出来なくて、八方塞がりで外に出ることもできなくなり、自信を失い、苦しみ続けてしまうのが引きこもりだと思っています。

この三つさえ確保できれば、生きては行けます。
(それが難しいんですが・・・)

後は幸せという問題です。
子供を望む人に子が授からない。
結婚したい人が結婚できない。
ブラック企業に勤めている。
等々働く事や、社会的であってもうまく生きれない人はいて、僕はそんな人たちも引きこもりと大差ないと思っています。

人と接したり、コミュニティーで生きたり、しっかり働いて税金を納める。
それができていて苦しむ人もいると考えると。

結局大事なのはどのように生きて自分がその人生でどれだけ幸せに感じるかだと思います。
そしてそれは競争するべきものではないと僕は思います。

競争に駆り立てられれば、幸せを追った挙句、虚しくなるだけです。

人と比べるのは競争カテゴリー(スポーツや勝負事)で行えばいいし。
幸せを競い合うのは字を読んでもなんだか矛盾しているように思います。

幸せになる為に生きる。たぶん人間の共通した目的です。
その中に恐らく引きこもりという「現象」が起きてそれに苦しんでしまう。
結局は人間の持つ苦しみの一つで、自分はたまたまそれに当てはまり、苦しんでいる。
そう今は思います。

幸せのために純粋に生きる工夫をすればいいのかもしれません。
良心的な心さえあれば行動を起こした所で非道な行いをすることもめったにないと思いますし。
(その行動が難しいんですけどね。)
だから僕は生きている以上は幸せに向かいたいと切望していると思うし、そのことで頭がいっぱいになっています。

そしてまた話は変わるのですが、引きこもりになる人は不運だと思います。
そんな事を言ったら世の中ひきこもりより不幸な人は沢山いると考える人もいるでしょう。
でもそれを逆に考えると、幸運に恵まれ、とんとん拍子なひともいるのは事実です。
そうなるともう比べる意味は無くなります。
引きこもりになってしまうことに運は絶対にかかわってくる要素であり、不運が続いたりすれば自信もなくなるわけです。

要するに引きこもりは「不運やマイナスな経験で傷を負った結果、引きこもると言う事象が起きてしまったひと」と僕は考えています。

本当は気の毒なはずなんですが、いかんせん家なき子のような人を世の中は同情するわけです。
そして我々のことは楽をしていると思っている。
(中には中立的な人達や引きこもりのために奮闘してくれる人たちもいますが)

そんな世の中にもまれた結果
引きこもりは苦しんでそこから脱したいと渇望していると考えます。

この引きこもりって概念は本当に無意味なことなんでしょうか?
この引きこもりって事は人類にとって何もパワーのないことなのか、僕は疑問に思います。
引きこもり(アウトサイダー)だからこそ、社会の普通の人(インサイダー?)の助けになるような力は本当に秘めてないのでしょうか。
引きこもりは何かを支えているような気がしてならないような気がしてきた。

書いていたら
これから引きこもりだからこそできる何かを探して行く必要があるかもしれないと思いました。

これを読んでくれた人にお礼を言います。
何か感じてくれたら嬉しいです。
長文になりました失礼しました。

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厚生労働省の定義では精神疾患等の病気の人は当てはまらないって書いてあった気がするので病気の人は厳密にいえば当てはまらないのかなって思います。

そうですね。昔はひきこもりといえば統合失調症というのが、医療的常識だったみたいですけど、それが要因じゃないひきこもりもたくさんいるぞ?となって社会的ひきこもりが注目されたんだったと思います。

僕もひきこもった当初は、神経症っぽいところがあるというレベルでした。
今では病のユニバーサル・スタジオ・ジャパンかな?と思うほどですが。。

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「ひきこもりとは一体、何なのか?」

この問題を解決するべく人生を捧げてきたので、ここで現時点での研究成果を発表します。
その1
まず人とのコミュニケーションからの撤退、という事態の解明になります。
そもそも「コミュニケーション」とは何か?
岡田斗司夫は『ぼくたちの洗脳社会』において「コミュニケーションとは洗脳行為でしかありえない」と定義しています。これはどういうことか。高度な社会を形成していることで有名な蟻のコミュニケーションについて見てみます。
http://www.natureinterface.com/j/ni06/P58-61/

巣内外における巣仲間の間でのコミュニケーションは、さまざまな蕫フェロモン﨟によって媒介されている。フェロモンとは「ある個体が体外に分泌し同種の他個体に受け取られ、特定の行動や生理的変化を引き起こさせる物質」と定義される。アリは地球上の全生物の中で、もっとも多くの外分泌腺を持つ生き物である。

蟻ではフェロモンが言語コミュニケーションの役割を担っているが、フェロモンは他個体にたいして「強制的に」働く命令系統であることが分かる。そしてそれは同じく高度な社会を形成するヒトのコミュニケーションにおける主な機能であり役割でもある。
つまり言語によるあらゆるコミュニケーションの裏には「~せよ」という命令文が常にカッコ書きで記されていると考えるべき。つまり今「どら焼き食べたい」と独りごちた裏には「おれの為に誰かどら焼きを用意せよ」という意図が隠されている。
もちろんヒト社会はより複雑で意図も多岐にわたるので、簡単にはいかない。命令系統の上下も簡単には決まらず議論になったり喧嘩になったりするわけで、そこでは常にその命令の正当性にたいするエビデンス(言ってみたかった)が求められる。ジャイアンは暴力、スネ夫は財力というエビデンスを突きつけのび太にいうことを聞かすが、のび太もまた未来からきたドラえもんのテクノロジーの力によって皆を操る夢想をする。
そしてのび太にたいして何も指示したりしない出木杉君は、その後ひきこもりになったと噂されることになるのである。。。

合掌

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やまいさん!元気そうで何より!

洗脳というとオウムの事件があったころでもあり異様に感じるけど、コミュニケーションには何かしらの隠れた願いみたいなのはあるんでしょうね。本人すら解ってないかもしれないけど(笑)

とすると、ひきこもりは「誰の言うことも聞きたくないし、その代わり誰も言うこと聞かなくていいよ」ってことなんですかね?
けど、もし、ひきこもりがコミュニケーションのいち表現だったら、またも少し話がややこしくなりそうだけど。

僕が考えるコミュニケーションとは「僕はここにいるよ、あなたもここにいたのね」ってこれだけな気がします。最終的には。いや末端的には。サンドイッチのパン的な要素がこれで、あとは様々な願いが具として挟まるイメージが浮かびました。

そんな噂が囁かれていたのですかっ!…「出来杉君 ひきこもり」Enターン!

はいーふいに書きこめそうな気分になったもんで

とすると、ひきこもりは「誰の言うことも聞きたくないし、その代わり誰も言うこと聞かなくていいよ」ってことなんですかね?

意識的にそうしたということではないだろうけど、結果的にそういう「状態」に落ち着いてしまっていると思う。
それはなぜなのか?に対する仮説。
ヒトの場合コミュニケーションの媒体は言語に限らない。広義に考えればヒトの創り出すあらゆるものがその媒体となりうるね。例えば「椅子」はそれ自体がそこに座ることを我々に指示しているという考え方(アフォーダンス)があるけど、人工物とはヒトの脳が作ったものであり、意図して作られ意図的に配置されている。
養老孟司は『唯脳論』でこういう人工物に囲まれた都市化を「脳化」と定義して、我々は脳の中に住んでいるようなものだと見なしたのです。

で、なるほど人間は蟻のように自動的に生きているわけでなく、意識によってあらゆる指示命令を無視したり反発することが一見できるような気がするけども、もう無理なんだよね。意識でひとつひとつを吟味してこれは正当、これには従わないとかする余裕はまったくなく、五感を通して入ってくる膨大な暗黙の指示の大部分は、無意識で処理することになる。
近年の広告などの「マーケティング」の手法のものすごい進歩、なんかもこの辺に大きく関係していると思う。
んでこの指示命令系統の全体はもはや誰にも見渡せず、互いに矛盾しまくっているかもしれず、統一性が担保されていないんじゃないの?というとこで寝ます。

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