キリストの終末預言など

ここでは、終末預言の中でも、キリスト教を主にとりあげていきたいと思います。

陰謀論や預言の動画をネタに語っているトピックは別にあるのですが、そちらではキリスト教に限らず幅広くやっていきたいので、こちらではキリスト教をメインに取り扱っていきたいと思います。

そういうわけで、いつのまにか、預言と関係ないような、日常の気づきを聖書に書かれてある言葉と対比させて考察するみたいなトピックになったりするかもしれません。

ですので、未来予測系トピックにはならないかもしれませんが、まぁ、本来、聖書にも「主の降臨は夜の盗人のようにもたらされる」(終末は突然訪れるのであり、人がその時期を予測することなどできない)(アテクシの意訳)とありますように、神のご意思を人が推し量ることなどできるわけがないので、聖書の終末預言部分だけをエンタメ化して小銭稼ぎを行っているユーチューブ動画って罰当たりすぎない?とか思ったりもしますが、福音がそのような形でも伝わるのであれば、そこからなにかしらの気づきを得て、聖書を読み始める人がいるかもしれないので、まぁそれもまた神の御心ではないかと思ったりもします。

創世記って信じますかいな?
わしはあれがどうも受け入れられず、キリスト教徒とは離別しましたのじゃ
多くの信者さんは聖書の文字通りのことを信じていると聞いたこともありますが、それが正しいのでしょうが、例えば、聖書に書いてあることを切り張りして、自分の信念に合致するものだけを信じるというのは、正しい道ではないと思ってしまい、離別しましたのじゃ。

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アテクシも別にキリスト教徒というわけではなく、陰謀論都市伝説大好き人間として、キリスト教に興味があるといった程度の人間ですから、信徒のかたからすると単なる異教徒なんですけども、現代の物質社会を支配しているのは、西欧の白人社会(ユダヤ教徒も含めれば、一神教徒の支配する社会といえます。イスラム教も同じ一神教グループではありますけど、毛色が違うというか、後発と有色人種ゆえか、勢力自体は大きくても、実質的な権力は持っていない印象です。)であることは明白な事実ですから、それを無視して、政治や経済を語ることが、むしろ不自然というか、本質を見誤る主因になってしまうのではなかろうかと感じています。(まぁ、あんまりのめりこみすぎて、現実社会の表に流通している情報を否定しまくるのも、陰謀論をこじらせて、別の方向に迷い込んでしまいそうですけどw)

創世記については、陰謀論、都市伝説大好き人間としては、古代宇宙飛行士説を推してますね。(気になるようならは検索してくださいw)

いまいち何が言いたいのかわからんのう。
Geminiにも「学習中でお手伝いできない」と言われてしもーたわい

政治や経済を語りたいなら、西洋の歴史を強く支配してきたキリスト教ないし一神教を無視することはできないということかのう?自分は政治には特に興味ないんじゃが。

「いいね!」 2

宗教関連は触れるとあちこちから異論、反論がグーグル本社に飛んできそうだから、あえて、AIに回答させないようにしてるんでしょうかね。

アテクシのいいたいことは、西洋社会の基盤となっている一神教を無視しては現代社会の政治・経済を語ることは難しいということで、あってます。

政治に興味がないのは残念ですが、まぁ、政治や宗教は話題としては、争いの種になるので、ふれないほうが無難かもしれませんね。(アテクシは好きなので触ってますが)

ニュースチャンネルで大雪について配信していたので、そのチャット欄をなにげにみたら、キリスト教の福音を広めてる方がいて、それに「なんかへんなひとがいる」みたいなコメントがついていて、縁なき衆生は救いがたいとはよくいったものだし、以下に書かれてある聖書の言葉を読んで、今の状況に当てはめたら、アテクシも人のことはいえないなぁと、思ったりした。

動画

伝道してる人のコメント

キリスト者
​​「神は命じられる。 雪には、「地に降り積もれ」 雨には、「激しく降れ」と。 人の手の業をすべて封じ込め すべての人間に御業を認めさせられる。 獣は隠れがに入り、巣に伏す。 嵐がその蓄えられている所を出ると 寒さがまき散らされる。」聖書ヨブ記 37:6-9

キリスト者
​​「神が息を吹きかければ氷ができ 水の広がりは凍って固まる。 雲は雨を含んで重くなり 密雲は稲妻を放つ。 雨雲はここかしこに垂れこめ 導かれるままに姿を変え 命じられるところを あまねく地の面に行う。 懲らしめのためにも、大地のためにも そして恵みを与えるためにも 神はこれを行わせられる。」聖書ヨブ記 37:10-13

キリスト者
​​「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。 なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。」聖書ローマの信徒への手紙 1:18-19

キリスト者
​​「小羊が第五の封印を開いたとき、神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々の魂を、わたしは祭壇の下に見た。 彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」聖書ヨハネの黙示録 6:9-10

キリスト者
​​「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」聖書ローマの信徒への手紙 12:19-21

とくにここの箇所がググッとくるな・・・。許すということまではできなくても、わざわざ事を荒立てる必要があるのか?(それも自分の不安と欲望を解消するために)という迷いはある。

キリスト者
​​「今、わが主の力を大いに現してください。あなたはこう約束されました。 『主は、忍耐強く、慈しみに満ち、罪と背きを赦す方。しかし、罰すべき者を罰せずにはおかれず、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問われる方である』と。」聖書民数記 14:17-18

たしかに、祖父が戦場でやらかした罪を今アテクシたち子孫が問われている可能性はある・・・。それでアテクシはどうするか?争いの連鎖を続けるのか?それとも、ここで自分は断ち切って、相手だけにその罪を子孫にまで問わせるようにするのか?悩みどころではある。しかし血のつながった相手であり、子孫にまで罪を問うべきか?といわれるとそうでもないような気もする。という考えが頭を巡る。むしろ、相手にその罪を問うて、改心とまではいかないにしても、選択を迫るべきではないか?

キリスト者
​​「見よ、主の怒りの嵐が吹く。 嵐は荒れ狂い 神に逆らう者の頭上に吹き荒れる。 主の激しい怒りは 思い定められたことを成し遂げるまではやまない。 終わりの日に、あなたたちはこのことを悟る。」 聖書エレミヤ書 30:23-24

終わりの日に悟っても遅いんだよなぁ・・・。だから悩みどころではあるし、第三神殿ができればキリスト教に入信するんだが・・・。まだその時期ではないし。

最近、予言系や陰謀系のユーチューブ動画を見て、聖典(ローマ・カトリック系がなんたら会議でピックアップした政治的に正しい聖書)以外にも、エノク書(エチオピア版)やエズラ記みたいな、外典というものがあって、実はそっちのほうが真実に近いのではないか?という話があるんですよね。だから、聖典だけ読んでてもいいとは思うんですけど(余計な邪念や疑いが出ないことで、救済される確率は上がりそうですし)もっと深く聖書というか、神の存在を探求したいのであれば、外典も調べてみたほうがいいかもしれませんね。ということを最近思いました。