私は、現在、特にこれと言って不満なく生活を送れているが、何か物足りない気がする。
何かやりがいを感じられる目標を持てば物足りるのか?
人との繋がりが生まれて善き友達が作れれば物足りるのか?
素敵な恋人ができれば物足りるのか?
就職出来れば物足りるのか?
・・・
それとも、神への信仰が必要なのだろうか?
私は、現在、特にこれと言って不満なく生活を送れているが、何か物足りない気がする。
何かやりがいを感じられる目標を持てば物足りるのか?
人との繋がりが生まれて善き友達が作れれば物足りるのか?
素敵な恋人ができれば物足りるのか?
就職出来れば物足りるのか?
・・・
それとも、神への信仰が必要なのだろうか?
ブッダは人生は不満足であると言ったが、信仰あるクリスチャンやムスリムの人は満ち足りた人生を送っているのだろうか?
聖書に書かれているのは物語っていうけど、物語というのは虚構ということなのだろうか?
分かりやすい例を出せば、聖書を信じるとは、ガンダムやエヴァンゲリオンの物語を信じることと同じ。つまり、人の創作物(物語)を信じているということなんだろうか?
神への信仰を持つとは、誤った表現かもしれない。
神への信仰は与えられるものだ。
幸福やウェルビーイングに関して、セロトニン的幸福、オキシトシン的幸福、ドーパミン的幸福を挙げている人がいた。また、別の人では、ありがとう因子、やってみよう因子、なんとかなる因子、ありのまま因子の四つの幸福の条件を挙げている人もいた。
幸福になるには必ずしも宗教への信仰が必要であるとはいえないようだ。
新約聖書でもまた読み進めてみるか
宗教信じても何も変わらないとか
神を信じることと、
宗教を信じることは違うと思う。
私は神を信じてるけど、宗教は信じてない。
神を信じるのは、神が示すものを信じること。
宗教を信じるのは、神の声を聞けるという『人』の言うことを信じること。
人が言うことと書いて『信』。
信者と書いて『儲』。
たとえば聖書、まるきり嘘だとは思わない。
イエス様は神の声を聞ける本物の預言者だったんだろうと思う。
でも、1フレーズでも神の声を聞ければ本物の預言者。
イエス様の言葉のすべてが神の言葉じゃないことに、大多数の人は気がつかない。
信者もアンチも。
ちなみに、私は足りてる。
子供の頃の夢はすべて叶った。
まだひとつ、叶ってない望みがあるけど、この望みを叶えた人は、人類史上、一人もいないし。
いたら、人類が地球のガン細胞になってる現状にはなってないから。
神とダイレクトに対話できるようになったら、足りないものはなくなると思う。
対話といっても、言葉で話すんじゃないんだけど。
神は示すから。
神に関わる漢字はすべて示すヘン。
イスラームの書籍を読んだら、「神は全てを決めている」と書いてあった。
キリスト教では、神は全てを決めているとは聞いたことがない。
神が全てを決めていたら、人間は自分の自由意志で決めることが出来なくなってしまうのではないかと思う。
神は全知であり、未来を予知しているだけだったら、人間が自由意志を持つことと、神が予め全て知っていて、世界は決定しているということが両立するというのは、理解出来る。
それとも、人間が自由意志で決めていることは神が決めていることでもあるということだろうか。つまり、人間の自由意志で行為を決める時、神の意志?御業?もそこに働いていて、そこには人間と神の二重性があるということか!イスラームに興味湧いてきた
どんな神かは、分からないが、神がいないと信じるより、神がいると信じる方に賭けたい。
論理的に神の有無を知ることは恐らく不可能だろう。
神を信じることを、望むのは己の心、感性だろうか。
私はいつの日からか、天の神様、そしてイエスキリストを信じるようになりました。誰かに勧められたわけでも、論理的に考えて信じたわけでもなく、福音書を読んだ時にすっと信仰の芽が心に宿った感覚でした。
神は、信じるものの人間の背中に手を当て、信仰による意志を肯定してくださるお方のような気がします。その意志から生まれる行動を後押ししてくださるわけです。
言い換えれば父や母といった親のような存在でもあるかと思います。信じることによって神様の存在を知り、救われ、無条件に愛されていることを実感します。
限りなく確信に近い推測として、神の存在を論理的に知ることはできるよ。
神がいたら起きるであろう、1万分の1の確率のできごとが起きる時、ただの偶然と考えるのはあまり論理的ではないよね。
だからこそ、実は歴史に名を残すほどの数学者ほど、神を信じている人が多かったりする。
奇跡が起きる確率を正確に計算できるからこそ、偶然ではもはや片づかないと、神の存在を確信するに至るのです。
私は神様を信じてるけど、宗教を信じてる人とは話がまったく合わないのはなぜだろうと思ってたけど、気がついた。
宗教を信じてる人は、神様ではなく神様の代理人を名乗る『人』(教祖)を信じてるからだと。
神様の御心を人間ごときが間違えずに知ることなどできるわけがないと私は思うけど、
宗教を信じてる人は教義に絶対の自信があって、神の名のもとに殺し合い(宗教戦争)までするよね。
私はそれ、神様を信じてるのとは真逆のことだと思うから。
だから、宗教を信じてる人とはどうしようもなく話が合わないんだと気がついた。
鳥が空を飛べるように進化したのは進化論的に説明ができるのだろうか?
どうやって羽のないものがあるものへと進化したのか。
体を広げて滑空する生き物はいるけど、鳥の祖先もそんなかんじだったのかな。
神様がデザインしたって考えた方が納得できるよね。
私は進化も含めて神様のデザインだと思ってる。
人が進化するAIをつくって楽しんでいるように、
移り変わる地球環境に進化して適応する『生き物』を創造して、世界という万華鏡を神様が楽しんでいるんじゃないかと。