軽度アスペルガー精神3級です。
私は、昔から何か物事に対して関心を持ち、その中でネガティブな項目を見つけ、一方的に?ネガティブなこだわりを持ってしまいます。このネガティブなこだわりが異常なくらい強く、認知療法でも一向に良くなりません。
例えば、以下の3項目です。
1.自分の乗り物好きに関連して、つい最近まで交通バリアフリーが殆どなかった→内部障害者を含めた身体障害者や車椅子の人は殆ど外出できず、ものすごく辛かったり病んでいたのだろうな。どうやってやり過ごしていたのだろうか。特にアクティブな健常者だったのに事故等で身体障害者や車椅子になった人とか。当時は今より障害者は差別して良いという風潮だっただろうから、自殺・心の病とかも、、、。内部障害者を含めた身体障害者や車椅子の人は昔から物凄く沢山いただろうに。やはり少数派ではなく、障害者差別が正しいとされていたからだろうか。
2.同じく自分の乗り物好きに関連して、現在もしくはつい最近まで幹線道路なのに歩道等がない、加えて道幅が狭すぎる、などの箇所→沿線住民やその道路を走る運転者などは、常に危険や渋滞などが避けられないため、かなり精神すり減らして辛いだろうな。どうやり過ごし、生活しているのだろうか。歩行者の死者が出た、ゴミ捨て時に横歩きするしかない、などのニュース記事も見たから尚更。
3.自分は音楽好きだが、バックコーラスシンガーはその人の唯一無二の声を前面に出しているのに、メインのシンガーと違って注目されず、歯痒さを感じている人が多いのではないだろうか。かなり辛そうだ。観たことはないが、アメリカ映画「バックコーラスの歌姫たち」はそういった葛藤を描いた話らしいし。
などです。
強迫観念や身体の酷いこりとも結びついており、かなり酷い内容である事は承知ですが、非常に辛く苦しいです。
現在、認知療法を受けていますが、この問題も一向に解決出来ず、大変困っています。
どうしたら良いでしょうか。
不快に感じられたら大変申し訳ありません。
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再参加、書き込みありがとうございます。
悩みを読ませてもらいました。素人の個人的意見ではあります、が本当に治す必要があるのだろうか?と感じました。ネガティブな面に注目して、困っている人の気持ちを想像するのは、必要なことじゃないですか?それができるのは良い面だと思います。
ただ、あまりネガティブな面を想像しすぎてしまい、実際は起こってないかもしれないことにも感情移入してしまったり、好きなものが嫌いになってしまったりすると、精神的に辛くなってしまうと思うので、そこは何とか緩和できるといいですね。
しかし、なかなか辞められないこだわりということで、そういう思考を止めようとして止まらないのなら、あえて止めようとせず、逆にネガティブ全開な妄想日記や、小説などの形で表現してみるとか、どうでしょう?
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hikaru
3
はじめましてこんにちは。ASDのものです。
頭の中でずっとぐるぐるまわったりしますよね。
思ったんですが、認知療法は考えになる前の一瞬の思考のゆがみを根気強く変えていくものだった気がします。でも分量が多すぎて、もうそういうレベルではないのかもしれないですね。
「マインドフルネス」で、一回我に返らせて、ときどき思考を一瞬切るのを入れてみるのもいいかもと思いました。
勝手なことを言ってたらすみません。
自分語りです。
(私は昔の出来事を、悪い嫌なこととして頭から出て行かないことが起こりやすいですが、最近同じ出来事なのに、楽しいこととして感じる不思議な体験をしました。
マインドフルネスの本に、「自分の失敗した出来事を映画で放映して、客席から鑑賞する」みたいなのを見たことがあって、目線を変えたら別の気持ちになるのかなと思いました。)
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pf
4
プロが治療して解決できない(改善はしているのだろうか?)とすると、素人が助けられることってあるのかな?
アスペルガー特有の「こだわり」が問題なのだとすれば、アスペルガーに詳しい専門家に聞く(既にそうしているかもしれないが)ことも選択肢かもしれない。
「こだわり」という状態が具体的によくわからないので、例えば何をトリガーとしてネガティブなことについて考え、どのくらいそれが持続し、その時の心理状態はどのようなものなのか、について気になります。
ブッダは苦しみの原因は執着(こだわり)だって言ったらしいけど、生まれながらの特性で強いこだわりを持ってしまう人はどうすれば良いんでしょうかね。アスペルガーの人でもこだわりを減らしていけるのかな?
また、執着の原因に繋がる、渇愛と無明といった仏教において根源的な苦しみの原因があるようだ。渇愛(根源的生存欲)、無明(真理に明るくないこと、または貪瞋痴)は何かヒントになりそう。
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hikaru
5
(自分の曖昧な知識だけで書きすぎた気がします。すいませんが消させてください。)
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皆様ありがとうございます。
因みに、似たようなケースでかつ解決したケースもあります。下記に3つの例を示します。
1.高速バス乗り場は鉄道・駅・港と違って、案内板等が不親切なケースが多い。何故だ︎場所や行き方を調べるにしても、昔はネットもなかったし。→キチガイレベルのこだわりだったが、いつの間にか解決。但し、きっかけは全く不明。何か違う事に打ち込んだ、などとかもなし。高速バスに対してネガティブな思いが強かったのが何故か逆転して高速バスも趣味になった。
2.提供したヒット曲などのセルフカバーを行わないアーティストが結構いるのは何故だ︎→フェイスブックで著作権の問題じゃない?と言われ、その後自然に落ち着いた。尚、著作権は関係なかった模様。しかし、それでもこだわりが再発することはなくなっている。きっかけの理由が正しい答えではなかったとはいえ。(アーティストや事務所の方針によるかと)
3.福島原発事故で東京などは大量の人が放射能が原因でもがき苦しみながら死んで行く。有名人の早死も放射能。現に人が亡くなりまくってるらしい。同じ日本人として辛すぎる。→社会人デビュー直後、仕事がきつかったりで、さらっといつ死んでもいいやという境地に至る。そこから人間いつか死ぬしなどとも考え、その後自然に放射能ネタは治まった。
これらの例から先日書いた3つの問題の解決の糸口を探そうともしていますが、なかなか見つかりません。どうしたら良いでしょうか。
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……あまり、好きなものに対して、ネガティブな気持ちを持ちすぎると、好きなものが嫌いになってしまったりと、うつ傾向になるのは避けた方がいいのかもしれませんね・・。好きなものを増やしてみるのはどうですか…。それこそ、難しいと思うので、視野を狭めて、今までと変わった好きになり方で好きになるといいかも……。その分、自分にかかる負担を少くできれば、視野を狭める必要はありません…。ここでうつになると出口が無くて疲弊してしまいます。まずは、自分の好きなことに、どれだけネガティブな思いつきをしてもいいので、つまりそれを許してあげて、好きなことなるものを増やすことに努力してみては………。たぶん大事にしたいものがあって、前に進みたいのだと我は思いますので、好きなことを増やすことで、その時の1つにネガティブに思う感情を浅く分配できればいいのではないかな、という、そういう考えです。大事にしたいのに滅ぼすのでは、から回ってしまいますので、イッタンでも、そこそこ好きではなくてもいいので逃げ道を作ってみるといいです………。休憩場所………。
1の例はセンスがいいですね。我は、1が気にいった。
あ、こんばんわ、自己紹介です、我は炭酸飲料で酔える人物です。
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pf
10
世の中の不合理・不条理と思われる事象について自分なりに納得や妥協ができた場合(解決したケース3.)もあるし、自然に気にならなくなった場合(解決したケース1.2.)もあると。
ということは、ネガティブなこだわりを持ち続けてしまうのは、不条理な事象が納得できない・受け入れられないからなのでしょうかね。
解決への道は納得できるようになるか、自然と気にならなくなるまで待つか、なんでしょうか。
不条理な事象を納得するのは、なかなか難しそうです。
やれることは、認知療法でやってると思いますが、事実を正しく認識するとか、誤った思い込みを取り除いていくとか、解決したケース3.のように異なる認知の視点を模索するとかでしょうかね。
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