無害がルールのインターネットのあがき日記

いま、ジモティーでも開設し先頃zoom集会しました。
闘いは、古典の世界から、中世の鴨長明をも経て、ゴッホ経て、今の世の中においても、少数の義人がこの世界の圧倒的群衆とバトルを繰り広げるこの構図は今でもまさにそうです。
つらいと言うあなたは、もしかして、選ばれた人なのでは。
主人公側なのでは。
そういうことをちらともよぎらないのは、本を読んでない証明です。
この闘いを理解するためには、古典の解き明かしがたいへん有力の支えであられます。
それを理解せずに、支援者が社会への復帰が好ましい導きであると考えているようでは、あなたがたはどうしてもうさんくさいものを感ぜざるをえません。
なぜならば、世の中というのはズルをする人たちで構成されているということがあるのではないでしょうか。
それならば、世の中に交わらず、どうやっていくのか。
善い志で集まって仲間になりましょう。
興味ある方、メッセージお待ちします。
わたしは中学時代にほぼ学年からハブになって過ごした寂しい人生でした。
ですが、がんばってがんばっていくうちに、なんとかひっくり返せるっていう地点まで来ましたよ。
過去を全部見て、オール受け入れて、執念で心細い生き方を鬼の執念で奮闘します。
みんなも、導きたいです。
どうか、声かけてください。
どうやってがんばるのかが、わからない人が多いように思います。
無論、わたしが考えるがんばるは、仕事のことではないです。
人とうまく付き合うことでもないです。
ゴールは、生きてて力強く奮闘できる境地まであなたを教えること。
古典から学び、これがいつの時代にも行われていたのだと知ることで、その教化へと導きたいです。
無論、宗教への勧誘などではなく、たんに、聖書や孔子、仏典のうちにこのうざったい世界が、それをどう理解するか、ここに核心があるとわたしは考えます。
きついのは今でも変わらないですけど、奮闘する気概はあります。
ジモティーに出したの貼っときます。

生きてることがつらい。ぼっち。世の中億劫なあなたへ。 #ジモティー 生きてることがつらい。ぼっち。世の中億劫なあなたへ。 (シュウジ) 運動公園の友達のメンバー募集・無料掲載の掲示板|ジモティー

集まれ

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しゅうじさん、はじめまして。Keitokuといいます。
なにやら面白そうなことを始められましたね?

古典から学び、今は力強く生きていける境地になられた。とのことで、その経緯をもし文章にまとめられていたら、まずは読んでみたく思いました。

良かったら当サイトにも引き続きご参加いただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

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ここの主さま、お邪魔します。
詳しく書いたもの、発表したいです。
書いてみます。

悪口(あっこ)を鎮(しず)める。
このこと、重要なこととみなして、実践している人、善を愛する人です。
悪を愛する人がいるのかと言えばいます。
昔はぼくも、人を虐めてましたね。その後逆に虐められましたが…。
今では山の麓に住んでます。人目に付かないように、までに、加害するのやめました。
社会人も、人の家庭を壊すように、不倫する人は悪の気持ちを愛して行動するのです。
善の気持ちを愛してたらしません。
裏金や、仕事上の誤魔化し、善の心を愛していたらできません。
人間間に、ぶつかり合って、互いに攻撃し、バトルする構造が存在します。
どうして存在すると言えるのか、それは、自分の心に、確認できるからです。
で、実際に、よく人は、ぶつかります。
生物的、同じ雄同士とか、雌を獲得するのは我だ、ってな具合、そういうのもあります。
この、さっきから言っている、「善のこころを愛す」とか、これが、たとえば聖書の主題メッセージっていうことになります。
聖書に限定されず、ゴータマ・シッタルダこの人、もその方向性を持ってます。
“金のことを求めた時点で、人は悪に染まる”諸悪の根元はお金と、聖書は言います。
確かに、そのように、自分の心、観察できますよね。
ですからあの人たちは、放浪しました。
パンを無数に増やすこともできました。
放浪しては、精神生活しました。
人に教えましたね。

(続く)

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それで、先に、あなたがた苦しんでる人間こそ、チャンスなんだと、むしろ選ばれているって言うのは、たとえば聖書には、“あなたがたは迫害を受ける。あなたがたは悪い世間の多くの人たちから責められて孤独な道を行く。そこでがんばって耐えて、善をキープすること、自暴自棄になるな。それで、耐え抜いたら、逆転させる。如実に、大掛かり的な意味で、成果が来るようにする”
まー、こういうことがベースですから、とにかく、つらいと言って落ち込んだりしちゃうのは、惜しいですね。
ここの主さんも言うように、仲間でなって、協力して生活できるようになることをわたしも考えています。

(続く)

仕事することが、そんなに良いことなんですかね。
今日でも吉野家の幹部あんなことになってますし、
仕事って、みんな、貢献している人、のようなイメージ持ってます。
なのでそれに比べたらわたしは…、と漠然と思ってます。
それはホントか。
ガソリンなんてもう枯渇するぐらい使い込んじゃって。
海のゴミも魚の総重量と同じ重さになっちゃう。
飲食店はばんばん経営して大量のフードロスとか言って捨てまくる。
だけど餓死の子、存在してる。
みんなフル稼動して、精神病む。
裏切りの人たちで、ばんばん離婚する。
社会の貢献ってなんだ?
具体的に。

(続く)

イヤな思い出って有りません?
後輩からイビられたとか
尊敬されてないとか
義理ならぬことしてしまった
人との繋がりがうまくいかないこと
結局頼りなかったこと
など
こういう、イヤなこと身に沁みて味わい尽くす、まぁこれが精神生活っていうようなもんですよね。
自分はこれを毎日してます。スポーツ選手がトレーニングするように
自分のトレーニングです。
古典も、“いかに罪が真っ赤に緋のように燃えていても、あなたが身に沁みて反省するなら、むしろ羊毛のようにあなたを飾るように変える”と言ってます。
ですから、自分の悪の部分、見続けましょう。
世間は、闇の子らですから、絶対に自分を見るということができません。
ここに違いがあります。
見ると不都合だから、自分のなかの何かを見ないようにしてます。
検証したわけじゃないですが、聖書の記述はそうですね。
見る光の子らか、見ない闇の子らか。
見たら痛みを伴います。
見ないほうがラクです。
だからこそ、見る人が高められます。

これが力強く生きていく、日々の仕方です。

(続く)

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気を遣うという言い方で、
内面がもたなくなってるんじゃないですか。
仮面被って、
素をさらけ出せていますか。
そんなこといらないってホントですか。
仕事は仕事って、ホントですか。

さっそく書いてくれてありがとうございます。
読ませて頂きました。

悪口を鎮め、善を選択し、自分の内面悪に目を背けず意識の光を当てると。そんな感じでしょうか?
言うのは簡単だけど、行うには本当日々のトレーニングが要りそうですね。
悪口を鎮めるひとつとっても、人の悪口は言わないように気をつけてても、自分に対してはひどい言葉を浴びせていたりしますからね…。

仕事は本当に必要なこともあるけど、どうでもいい仕事をして高給を得たり、環境破壊しいては人間破壊、過重労働による個人の生活破壊と、問題点も多いですよね。だけど日本では仕事することは絶対的に善いことと信じ、働かない(働けない)人は社会人として認めらないどころか悪とされるのは、あまりに極端!エクストリームジャパン。

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そうです。
自分に残ってる不純なものを見まくるという意味です。
仏陀もほんとに同様なんです。
妄執を究め尽くせ。実体をなんであるか、惑わされずに知れ。「仕事をしてない人」と聴いたときに、そこに生じてるアタマを見究め尽くせ。ってなかんじです。
だからこそ、アタマを考えるんですね。
そうすると、ほとんどなんにもわからないってことがわかる。
で、なんにもわからない状態が、本当の智、のようにどこもそういうふうに言ってます。
で、これが正しいんじゃないでしょうか。
どう考えても、なんだかよくわからない状態、かといって考えても無駄だからとか言って放棄するのではなく、なお考える状態、これのどこに胡散臭さがありますか。
日本人は仏壇とか言って、やってますけど
そのおじいに、働かないとか言うと、お前みたいな奴は、とか、無職ですとか言うと、お前に娘はやれんとか、そういうこと言いますよね。
だけど本家の仏陀ゴータマ・シッタルダさんは、食べ物を恵んでもらってた人なんですよ。
日頃瞑想して、1日一回だけ午前中にどんぶりもって誰かの家に行くんです、無言でどんぶりをささげて食べ物をもらって生活してたんですね。

自分にひどい言葉を言うって、自分がですか。
わたしの場合は他人に向かうのを食い止めるつらさです。

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面倒くさいことをする。
こういうのが効いてくる。

自己顕示欲に対して本当はこんなもんだと覚めている人
それを受け入れる
それが修行
その為に生きる
その「善」

人のことに時間かける
それが良い関係のはず
忙しく生きるならば、人は放っておくしかない
それは悪い関係のはず

それが教育
忙しく生きる人は、人のことを思わない
だから、関係が悪い
物がそれに拍車をかける
精神的安定を優先せよ

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破局して学べ
裏切られて学べ
出し抜かれて学べ
何が大切かを

何が大切か
それは人を叱責すること
悪いところは悪いと言うこと
ずるいとこはずるい
糺(ただ)せないならば
ほうっておくこと
それを出来ずに人付き合いすれば
悪いことになるのは明らか
悪を見逃すな

形而上学のひとりごと。
ある考えがある
だけどそれが、どういうものか、ちゃんと知っているという人
このいま在る考え
が、どういうものか。
「傷付く」の現象がどういうものか、泣くべきものか、はたまた戦うものか、それとも知るべきものか。
忌避するべきものか
世の人、みんな忌避している。
生活保護が厭、嫌。
生活保護と、聞いたとき、そこにある、感覚を、あるいは考えを、ちゃんと知ること、ちゃんと掴もうとすること、掴んで正確に知ること、それが知の学問、知るということの学問。
生活保護と聞いて、嫌がるのは、全然「知ること」と対立してる。
知ることとは、自分を知ること。
自分の考えを知ること、自分の考えがどういうものか知ること、を知ると言います。
その考え、ほんとによく解ってますか?
月が、ラーフラ(かげり)に覆われてやがて輝きを取り戻すように澄んだこころで。これは仏陀。
顔を曇らせるものは幸いである。これは聖書。
わからないことを、わからないと認め、耐え忍べば、うまくいくと、聖典も言うところです。