えてして、物語のなかにはメタファーが入っているのだ
今日もテレビ見て色々思った。最近そうだよな。辛い 毎日こんな感じの生活、年だし本当に色々やばいよな。お腹空いた 寝よう
確かに、アインシュタインの言うように聖書には誤りがある。だが、すべてが間違いではないとすれば?
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例えば、「神」という言葉を「存在」と置き換えてみる
存在は「ある」ということでもある
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だれかハイデガー連れてきてくれ、正確にいえる自信がない
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この世界はどのようなものであれ、現に存在している
論理的、必然的に存在しているのだろうか
我々はこの世界の存在物を存在したいたり存在していなかったりとイメージできる
だが、<私>という存在は存在していないとイメージすることはできない
物理的な肉体を持つ私ではなく、私という思考
私という思考があるとき、たしかに私は存在している
私という思考がないときは、論理的に私は存在しないが、だが、思考・意識がないコトを経験することはできない
経験とはその前提条件に意識があるからだ
つまり、私という思考・意識があるとき私はいるが、私という思考・意識がないときは私は経験することが出来ないため、そのような状態は存在し得ない
従って、私という思考・意識を前提条件として、存在物は存在する
つまり、世界は私という思考・意識の上に存在している
私という思考・意識がないということをどうやっても私は経験できない
私は無を経験できない。非存在を経験できない
従って、論理的、必然的に私の意識は存在する