遊ぶ時間削って遊べbyそよ風
満足こそ賢者の石である。それにふれるすべてのものを黄金に変える
まず足ることを知ること→満足
器が小さいからまだ上には上が居る事を知ること→不満足
より少ない量でも満足できる事を知ること何事も→満足と不満の間
後は分かるかなーやっちゃえ!
常に今やれることがある→満足?
人生とは自転車 のようなものだ。 倒れないようにするには走らなければならない 。
アインシュタイン
「自由は死んだわ。万雷の拍手の中で」
パドメ
神は留守だよ、休暇取ってベガスに行ってる
byブラックラグーン
学んだことはすべて忘れろ
ヨーダ
名言、格言にしては長い気がするけど、他に適当なトピックが見当たらないのでここに書いておきます。
『神経質の本態と療法』第八章より
自然科学から見れば、神は民族心理の過渡的産物である、とかいうように、神という実体の存在はない。神、仏、真如とかいうものは、宇宙の真理、すなわち自然科学の法則であって、法そのものにほかならない。
真の宗教は、自己の欲望を充たそうとする対象ではない。神を信じるのは、病を治す手段でもなければ、安心立命を得る目的としてもいけない。
神仏に帰命頂来(きみょうちょうらい)するということは、自然の法則に帰依、服従するということである。因果応報を甘んじて受け入れ、周囲の事情、自己の境遇を喜んで忍受することである。
われわれの血行も、心の中に起こる感情や観念連想も、みな法性(ほっしょう)であって、常に必ず自然の法則に支配されている。
夢も偶然の思いつきも、忘却も、執着も、みな必ずそれに相応する事情があってはじめて、そのようになるのである。
頭痛、眩暈も、必ず起こるべくして起こる弥陀(みだ / 阿弥陀仏のこと)の配剤であれば、煩悶、恐怖も必ずあるべくしてある自然法則の支配によるものである。
われわれはこの自然法則に勝つことはできないことを知り、不可能を不可能として、それに服従することを正信(しょうしん)といい、因果の法則を曲げて不可能を可能としようとし、我と我が心を欺き、弥縫(びほう)し、目前の虚偽の安心によって自ら慰めるものが、すなわち迷信である。
私たちは弱いから
不屈であるのは難しいが
確実に不滅だ
自由であるというのは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、 他人の自由を尊重し、 向上させるような生き方をすることである。
― ネルソン・マンデラ
To the ones who try, but can’t see the stars.
Keep looking up.
人生は楽しい旅だ
目的地なんかないよ
天性のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴット
絶望的は状況はない。
ただ絶望する人間が居るだけだ。
第二次大戦 ドイツ陸軍司令官。
名前忘れちゃった。
ロックは何も解決しない。
悩んだまま踊らせるだけさ。
ピート・タウンゼントだっけ。
弱いものは賢い どうしたら生き延びれるか考える必要があるから by頭空っぽなぼく
逆に強者は馬鹿が表れた迷言は、
食べるものがなければケーキを食べればいいじゃないですかね(笑)
ハケに毛があり
ハゲに毛がなし
猫は貧乏神だ
そこに居るだけで全てが満足した気持ちにさせるから